未来拓く、みうらひらくです。
津山市議会議員、三浦ひらくです。
金曜日…超暑い一日じゃありませんでしたか?
熱い一日でした!
私はと言えば、久しぶりに早朝から深夜まで出ずっぱりの密度の濃い一日を過ごしました。一発目のアポは倉敷市に9時半。寝たのが5時だったので超絶眠かったけど、お風呂に浸かってシャキッと目覚め…超久々の美観地区へ。
上記エントリーで紹介している先だって岡山市内で開催されたシンポジウムで25年ぶりに再会した、高校時代の恩師でもある語らい座 大原本邸の山下陽子館長のもとを、会派ツヤマノチカラの仲間である安東議員と田口議員と共に訪れました。シンポジウムの場に直接行っていたのは私だけでしたが、二人もオンラインでリアルタイム視聴していたため、予備知識はバッチリ頭に入れての訪問です。
これからの教育についての話、シンポジウムでの話の掘り下げなどを伺うことが、私としては個人的なメインの目的でした。ただ先日も感じましたが語らい座の館長はcatalyzer(カタライザー・触媒の意)ではなく、一流の語り手であり、話が上手でまた面白いのです。
目的については正直、達成感は半ばまでも到達しなかったといったところでしたが…会派の二人が一緒だったこともあり、それぞれが別のアプローチで質問したり、意見を述べたりしますので、一人で伺っていたら決して聞けなかったであろう話なども伺えて、とてもエキサイティングで楽しい時間になりました。
山下陽子館長…いやさ、陽子先生のところへは、こりゃ再度お邪魔せざるを得ないな!
時間的な都合があり、失礼する流れになりましたが…もっと色々と伺いたいことや伝えたいこともありましたので、再訪必至の訪問になりました。次回はしっかり時間をとれるようにスケジューリングして伺おうと思ったところです。
会いたい人には会いに行く。
これは何年も前から変わらない私自身のポリシーでもあります。当ブログでも今までにも散々同じようなことを書いていますし、会いたい人にお会いしてきたエピソードも公開してきました。もちろん政治の世界…ではなくても、人生には公開できないようなマル秘エピソードは付き物ですが、当然ながら会いたい人に会ってもらえるとは限らないのも事実です。
人と会うということは相手の時間を奪うことですから。
会わなくても電話やメールでも同じです。こちらが主体的に何かをお願いする際には、先方にとっても超絶大切なリソースである時間を費やしてもらえるような時間にしなくてはなりません。そして本日のように政治家・議員は視察の類に赴く機会が多くありますし、我々ツヤマノチカラの面々のように好奇心と探究心、向上心が強い(自分で言っちゃいますけどもッ!)と、さらにその機会は増えるわけです。
絶対に忘れてはいけないのは、先方にとってもメリットがあったなと思ってもらえるような…あの時、三浦ひらくと会って良かったなと思えるような時間とするような姿勢だと考えています。たとえその時すぐに、そうした実感を覚えていただけなくても…将来的にお返しする意気込みは持っています。つまり頂戴した時間を無駄にしないように努める断固たる決意が当然ながら必要だということです。私自身、時間の大切さを非常に強く感じているからこそ…これは常に心に留めています。
会いたい人に会ってもらえるような自分自身でいたいものですね!
陽子先生との話は盛り上がり過ぎて結構脱線もしましたが、それもまた楽し!
時にそういう流れから、建設的なアイデアや先の展開が生まれることもあるものです。語らい座 大原本邸はそれを期待、予感させてくれる素敵な場所でした。
また大原家に受け継がれてきた哲学、思想は現代を生きる私たち…特に議員のような政治の最前線で公益に携わる仕事に取り組んでいるものにとっては、とても大切なものでした。一言で言い表すことは難しいのですが…資料を拝見したり説明を伺う中で、地域への想い、地域に暮らす人たちへの想いを、それこそ時間やお金といったリソースを費やして、様々な形で還元し続けてきたのだということが伝わってきました。
そして今現在に至るまで、圧倒的な結果を残してきています。
語らい座 大原本邸や大原美術館などのわかりやすい例だけでなく、沢山のその証が全国各地にも残されていることは、実際に訪れていただければ展示物などからも明らかに感じられることです。その一端に触れられたことはとても光栄であり…物質面での結果だけでなく、哲学や思想を未来に生かしていくこと、先に繋いでいくことが今を生きる自分たちの役割だとも思ったところです。
超久々に訪れた美観地区を楽しむ時間もなく…次のアポのため岡山市へ移動し、その先でもまた素晴らしい時間を過ごしたのですが、その話についても色々と詳しく紹介したいので…また次回、改めて書きます。
山下陽子館長はじめ、語らい座 大原本邸の皆さま…有難うございました!
結果的には語らい座と謳う意味がわかったと言いましょうか…当初の目的であった未来の教育について現場の問題点等を語り合う中で、様々な脇道(これがまた魅惑的な道なのだ)に逸れながら、それでも最終的には戻ってきた感があります。
教育それ自体は目的ではなく、手段であるはずです。
社会をより良くしていくため、より充実した人生を送れるようにするための手段です。政治も同じ…今やっていることに何のために取り組んでいるのか、見失わずにやっていきます。
本日はこんなところで。また明日!