当事者でない人間を当事者とすることの、大切さと難しさと腹立たさしさと。

未来拓く、みうらひらくです。

日本中、世界中で毎日のように『対岸の火事』が発生しています。
言葉の意味から考えても当然…当事者以外の多くの人にとって火事は他人事、ひとごとです。

映画や文学、音楽などでは涙できるのに…現実の他人様の不幸に共感できないことが少なくないって人は、おそらく私だけではありますまい。
こういうテーマって、誰も積極的に肯定したがらない話でしょうけども。

それには様々な理由があると思われます。

何しろ、頑張っていない結果として相対的に不幸になる人がいます。
これは当然程度にもよりますが…個人的には仕方がないと思う。
頑張らずして、頑張っている人と同じ果実を得られるのは、運も含めて非凡な何かを持っている一部の人間に限った話。

現実はそんなに甘いものじゃないし、甘くあるべきだとも思いません。

とはいえ、社会には一定のセーフティーネットが必要だと考えています。
それは何故かといえば、頑張りたくても頑張れない人も少なからず存在するから。
その人たちの存在を無視して良いとは私は思いません。

頑張れない理由が誰の目にも納得がいくものだった時は、社会保障としてそういった人たちの幸せは守られるべきだと考えています。
それこそが国家や自治体の存在意義ではないでしょうか。

セーフティーネットはセーフティーネット…行き過ぎた保護は好ましい結果にはならないと考えています。

ひとごとを理解しない人間が悪いっていう積もりではありません。
誰もが利他的に他者のことを思いやり、平和な社会を構築していくことができれば、確かにそれは素晴らしいことでしょう。

だけど現実はそうじゃないということ。
ある程度の人たちは、それぞれの日々の暮らしの中で出来ることを精一杯やっているのが事実。
そうした生活の中からは…なかなか他者のことを気遣う余裕は生まれないものです。

少なくとも私はそうです。
なるべく常に様々な方面に意識を向けるべく努力はしていますが、優先順位やバランスは常に変動するものですし、その中で自分自身にできることをやっていくしかありません。

誰かのために…と、きれいごとばかり言っていても、変化は生み出せません。
時間が解決するという問題について、実際に時間がどれくらい掛かるのか…その答えを示せない以上は何も答えていないのと同じことなのです。

自分たちの身に火の粉が降りかかってこない限り、火の粉を振り払う手段を本気で考えることはできません!!

悲しいこと…かもしれません。
しかし私としてはむしろそんなものだと思っていますし、それで良いのではないでしょうか。
それが当たり前とされているからこそ、いわゆる美談の類が美談として成立するわけです。

当事者以外は問題に関わるなという話ではありません。
当事者でないからこそ見える世界が必ずあります。
ですが、ある問題解決に向けてそこに飛び込んでいく以上は、場合によっては当事者となる覚悟を持っておくべきです。

共感力という言葉があります。
他者の感情を自分のものとして同調できる能力といったところでしょうか。

誰かとコミュニケーションを取る際、一つの武器になるとは思いますが…思いが誰かと完全に一致することなど幻想に過ぎないでしょうし、そもそも私は当事者でない人間が当事者意識を持てるということ自体に懐疑的です。

問題解決に必要なリスクを取れない人間は問題の当事者となることは決してできないし、当事者でない人間が当事者たらんとする行動はえてして弊害となり得ます。

だからこそ、政治に不安や不満を抱えていると日常ではうそぶきつつも、実際に選挙となると投票には出掛けないという人間が少なくないのです。

この夏には参議院議員選挙があります。
衆議院とのW選挙となることも、噂レベルの話では済まない雰囲気があります。

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総務省ホームページより引用 参議院議員通常選挙における年代別投票率の推移

選挙に出掛けることは最低限の当事者たらんとする行為であり、その権利を放棄した人間はそういった意味で当事者たる資格をみずから放棄している!!
…心情的にはそう言いたいところですが、それを判断するのは現在個人の自由です。

政治に関しては…社会生活を営む全ての人間が当事者であると考えますが、当事者であることを放棄するのも自由であり、当時者たらしめんと啓発することも自由。

私自身は制度自体にドラスティックな変革が求められていると感じていますが、その選択の自由を阻害するものであってはならないとも考えています。

となると意識改革しかないのかねって流れになり…結局前進しないことに繋がっちゃうパターン。

それを避けるためにも制度による強制力がある程度必要になるわけで…その辺りの線引きによる利害調整こそが、政治の仕事であるべきなのかなぁと考えているところです。

選挙に出掛けない人たちは、対岸の火事を見ている内に火が燃え広がり、自分に火の粉が降りかかってくることを想像する能力に欠けているのかもしれません。
あえて棄権という選択肢を取るのであれば、やがて火に飲まれることをもいとわないドMなんでしょうか。

一番の問題は、火の粉がすでに降りかかってきていることに気づいていないこと。

そう言えば…政治家はドMでないと務まらないという話をよく聞きますが…その話はまた☆

今日はこんなところで。
また明日!!

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三浦 ひらく

三浦 ひらく -PROFILE-

世界を暮らしやすく楽しく変えるため、相棒ひらくマと一歩ずつでも現状改善していくために日夜ハゲむ、1978年生まれの岡山県津山市議会議員。選択肢の多い社会を目指し、政治も手段の一つと捉え、地域振興、多様性理解促進、生きづらさ解消、表現の自由を守るための活動、インフルエンザ脳症撲滅、臓器移植意思表示推奨などをライフワークとして活動している。

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