ダメなものはダメと言える社会の実現。昔からの変わらぬ願いは、きっと間違っていない。

未来拓く、みうらひらくです。

幼少時からその傾向は表れていたようですが…私、かなり不健全な人生を歩んできております。
まぁ詳細はホームページのプルフィールや、当ブログの未来のエントリー(ネタがない日用)に譲るとして、屈折具合というか…こじらせた感は負けないという奇妙かつ不毛な自信すらあります。

そんな私ですから、未だにガキんちょの頃から抱いていた思いの実現のために頑張っているような節があります。

それが表題の件。
初めて組んだバンド名でもあり、東京での音楽活動時も使い続けたTRUE-REBEL(真実の反逆者)というネーミングには”間違っていると感じたことに対しては、徹底的に反逆する者”という意味を込めていたとかいないとか☆

この世界には間違っていると感じることが多過ぎやしませんか?

…いやぁ、本当にこじらせ臭がプンプンしますが、先へ進もう。

先日、こんな報道が出たのをご存知の方も多いと思います。

認知症事故賠償訴訟 JRが敗訴

《事件概要》
要介護4の認定を受けていた認知症をわずらった91歳の方が、ご家族が目を離された間に自宅から外出。
愛知県のJR共和駅にたどり着き、無施錠だったフェンスを突破して線路内に入り込んだ末に、電車にはねられて亡くなった。

ご遺族とJR東海とが賠償について協議するも合意には至らず、結局JR側が提訴に踏み切る。
1審、2審はおおむねJR側の主張を認めるもので、遺族側に賠償金の支払いを命じた。

最高裁までもつれた裁判がついに決着。
「家族に監督義務があるかどうかは生活の状況などを総合的に考慮すべきだ」という判断を初めて示す画期的な判決内容による遺族側の逆転勝訴。
今回のケースでは遺族には監督義務はなかったとし、賠償責任も生じないとした。

今後、増加すると推測される認知症患者による不幸な事故。
命に関わる問題に”想定外”がない方がいいのは当然です。

ちなみに犠牲となった男性を直接介護していたご家族は、同じく要介護1の認定を受けていた85歳の妻。
老老介護なんて言葉で片付けられない状況だと思われます。

家族に認知症患者を抱える人間も、鉄道会社で働く人間も身内にいる身として…やはり非常に難しい部分があるのは間違いないと思う。

でもここはあえて結論から、声を大にして言おう。

この判決を私は支持します。

そう感じた人は決して少なくないと思うけど、この事件って…VS鉄道会社だからこんな騒ぎになっている部分が少なからずあると思うのです。
VS車だったら、もっとシンプルに決着がついていたのではということです。

人をはねて死なせたのが電車ではなく車だったとしたら?

「おいおい、今日の予定が狂いまくったじゃないか…この後に約束していた相手にも迷惑掛かるんだよ!損失分を計算するからその分しっかりと弁償してくれよな。」という遺族への主張をしたとして、果たして許されるのでしょうか。

個人であっても…恐らくはタクシー会社や運送会社などの法人企業であったとしても同じこと。
まずもって裁判を起こしたとしても世間からは相手にされないのではないでしょうか…それどころか非常識極まりないという、そしりの対象になる気はしますが。

こうした考えに立脚した結果、鉄道会社は守られているという主張もありました。
それには確かに間違いない部分はあるでしょう。

ですが現実に交通インフラとして代替不可能な存在になっている以上、ある程度は守らざるを得ない部分は実際に存在というのも理解できる。

TVや新聞にも同じことが言えると思います。

報道の名のもと、非常時の情報インフラの名のもとに、そうした巨大企業を守らざるを得ない現状が恐らくあり…それゆえに時として不自然な報道の偏りが生まれたり、軽減税率の対象に含まれるといった事態が起こるのだと考えられます。

でもコレ、やっぱりよくないよね。

毎度のマイノリティ発想かもしれませんし、ルサンチマンと言われると返す言葉もありませんが(その通り!って返そうか☆)…見上げんばかりに重ねまくった古ぼけた座布団の上であぐらをかいて世の中を見渡していても、民意の現実は感じられないのではないかと思うのです。

健全な自由競争ができる世界でなければ、どうしても硬直化してしまい、その業界全体を暗い影の部分が覆い、その影響力を増していきます。

影をゼロにするのは限りなく無理ゲーだと思いますが、変革を諦めてはゲームセットです。
議論し、意見を戦わせることを恐れず、柔軟に状況に対応し、少しでも良い結果に繋がる方向に舵を切り替えていくことが必要です。

今回の裁判の結果を受けての私見を述べさせていただくなら、この判決は当然のことです。
今後企業側が対応しきれない状況になった場合…原則としては市場原理により撤退という方向が健全でしょうが、場合によってはそれを救済するのが国家や自治体といったところになることもナシだとは思いません。

整合性をとるためには本当に難しいところですが。
そうした調整は、それこそ政治に期待される役割の一つかもしれませんね。

とにかく、言いたいことを言えない世の中にしちゃいかんということ。

それでは今日はこんなところで。
また明日!!

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三浦 ひらく

三浦 ひらく -PROFILE-

世界を暮らしやすく楽しく変えるため、相棒ひらくマと一歩ずつでも現状改善していくために日夜ハゲむ、1978年生まれの岡山県津山市議会議員。選択肢の多い社会を目指し、政治も手段の一つと捉え、地域振興、多様性理解促進、生きづらさ解消、表現の自由を守るための活動、インフルエンザ脳症撲滅、臓器移植意思表示推奨などをライフワークとして活動している。

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