未来拓く、みうらひらくです。
本日はこのところ世間的にもいわゆる不祥事の類の大きなニュースが続いたせいか、政治家や教員といった職業に対して、より一層風当たりが強くなっている気がしないでもない無職男性のぶっちゃけ所感です。
先日このテーマには少し触れましたが…今回はもう少し踏み込んでみます。
政治家も教員も聖職じゃない。
そもそも聖職者という職業は宗教抜きにしては語れない存在だったはずです。
そして、その宗教上の聖職にある人の中にさえも、不届きな人間が時として紛れ込んでいることがあるのも事実です。
個人的には、一般的に使われている聖職などというイメージは幻想以外の何物でもなく、そんな職業は存在しないとすら考えています。
だって聖人でないと務まらない職業なんて…職業として市民権を得られるわけないでしょ、普通。
聖人はそんじょそこらに掃いて捨てるほど存在する人じゃないからこそ、聖人たるわけです。
政治家や教員が”聖職”でないことは、それこそ現状からも明らかですし、おかしな期待は捨ててしまった方が賢明であると考えます。
なまじ理想化してしまっているからこそ、裏切られた時の反動も大きく、必要以上に受けた衝撃を発散するためのエネルギーを、誤った方向に向けてしまうことにもなりかねません。
どんな職業であれ、基本的に成果のバロメーターはその職業の目的を達成してしている割合とすべきであって、個人の人格によるべきではないというのが私の考え方です。
当然ながら、社会通念上あまりにも非常識な言動は慎むべきですが、それは社会人として必要なことで…職業人として必要なことではないと考えています。
要するに、政治家であれ教員であれ、例えばスポーツ選手と同様にその価値を判断されるべきだということ。
税金から給与が出ているって話とは別問題。
価値がないと判断された場合にもクビという選択肢がないとしたら問題ですが。
サラリーマンであれ、何であれ同じことだと考えています。
当然、ニートやら無職は違うけどな。
仕事の成果は結果によってのみ判断されるべきで、過程を含めるのはまだ理解できなくもないのですが…その仕事と全く関係のないプライベートの話で仕事の価値が変わってくるのは、おかしな話ではないかということです。
仕事の価値を変えるようなレベルの問題が皆無であるとは全く思いませんが…正直、騒ぎ過ぎだと感じます。
政治に期待していないと口では言いつつも、政治家に聖人たるべしというのは矛盾をはらんでいるように思われます。
あまりにも程度が低過ぎて政治が期待を失ってしまったというのが、順番としては事実なのかもしれませんが…。
いずれにしても、一定の責任感と誇りを持って仕事にあたるべきなのはどんな職業であれ同じことでしょう。
職業によって不当に差別されることがあってはならないと考えています。
フリーターでも同じこと。

会社員でも、ミュージシャンでも、個人投資家でも同じこと。
その時々で程度は違えどリスクを背負って、結果を出すために努力して、やってきました。
誰だって同じだと思います…程度はそれぞれ著しく違うと思うけど。
これからどんな道を進んで行くにしろ、しっかりと結果に繋げていくことを第一に考えて、目的を見失わず精進していきたいと思います。
今日から基本的に、よほどの勝負ネタ以外はエントリーをこの程度の長さにまとめるよう心掛けてやっていきます!!
具体的には1500文字以内にまとめるということ。
ちなみに一番長い日は4000文字近くあったはず…。
俺、宣言しないとやらないからな。
それでは本日はこんなところで。
また明日!!