未来拓く、みうらひらくです。
”選挙で負けても、命まで取られるわけじゃない!!”
選挙で負けた人がしばしば口にするセリフの一つですね。
まぁ勝った人が言ってたら、けが人くらいは出る可能性もある気はする。
選挙、政治に興味を持つこと。
その大切さを毎晩毎晩書き綴っていますが、それでも私の周囲の友人ですら、選挙に行かない人間はいます。
毎度書いていることですが、投票するしないは個人の自由。
棄権や白票にも一定の意味があるという方もおられます。
それも一つの意思表示…だという意味で。
ですが、その意思表示は誰にも伝わりません。
誰にも伝わらない意思表示。 よく考えてみてください。
とても悲しくないでしょうか。
自分以外の誰にも伝わらない意思表示。
それは果たして意思表示と呼べるのでしょうか。
例えてみるか…。
仲間内でどこかに出かけようって話が出たとします。
いくつかの選択肢の中から行きたい場所を選び、投票することで行き先を決めることになりました。
そんな決め方しないとか言わないでッ!!
どこかに出かけようって話に参加しないなら、投票にも参加しなくても良いと思います。
皆と一緒に出かけようという意思があるにもかかわらず、投票に参加しない人がいた時に…あなたはどう感じるのでしょうか。
せっかく行き先を頑張って考えて選んだのに、誰かが投票しなかったら??
投票しなかったのに、決まった結果に文句を言う人がいたら??
誰が見ても、その誰かの行動は…集団の規律を乱すものだと言えるでしょう。
たった一人で出かけるってのなら、それでも良いかもしれませんが…。
でもさ、本当は皆と出かけたいんじゃないの??
国政選挙は国の行く末を決めようという投票です。
同様に、地方選挙は地方の将来の方向を決める投票です。
国家の一員であり、地方自治体の住民である以上…投票に参加することは最低限の意思表示だと言えると、私は考えます。
選択肢に魅力がない状態で、行く先に不安を覚えるのなら…魅力的な行き先を提案するのも一つの手です。
行き先の選択方法に違和感があるのなら、投票方法の変更を訴えるのも良いでしょう。
場合によっては、私はあなた方とは出かけません!!という選択もあるかもしれません。
しかし、最も問題なのは…意思表示をしない人たち。
棄権や白票は現状の肯定だという意見も散見されますが、私は必ずしもそうは思いません。
棄権や白票は責任放棄…ただ、それだけだッ!!
選挙の結果は、いくら事前にあーだこーだ報道されていても、開票が終了するまでは不確定。
結果的に、今の社会を維持しようという方向(現状の肯定)になろうと…今の社会を変革しようという方向(現状の否定)になろうと、棄権した人や白票を投じた人は結果を受け容れるしかないのです。
要するに、どっちでも良いやってこと。
なるようにはなるけど、お前の望むようには絶対にならんぞ!!
…と、言いたい。
究極の無責任。
どちらでも良いと…心の底からそう思えるのなら、選挙に参加しなくても良いとは思う。 現状、実際に権利であって義務ではないのだから。
…国の、地域の行き先がどこになっても良いならね。
…たとえば消費税が何パーセントになっても良いならね。
全然気にしないって人は、これからも選挙に興味を持つことなく、投票にも行かないで構わないと思う。
…でも、そうじゃないならば。
次の選挙には行ってみましょ。
初めてでも久々でも、簡単に投票できるから。
意外に結構な頻度でありますからね、選挙ってものは。
既に世間の関心は、参院選から都知事選へ移っている感があります。
ちなみに岡山県民の皆さん、10月23日は岡山県知事選挙ですよ!!
地元のトップ、首長を決める選挙。
これまた大事な投票です。
投票に行かなくても命まで取られませんが…意思表示をしないと失うものがあるはずです。
それでは今日はこんなところで。
また明日!!