未来拓く、みうらひらくです。
多様化、ダイバーシティ…そうした言葉を見聞きする機会は、日本国内でも急速に増えつつあります。
十年ひと昔なんて言葉が色あせて聞こえるほどに、時代の移り変わりの速度は凄まじい。
多様性が容認される社会を目指し、国民が総活躍できる国家を実現する。
それがどれだけ無理ゲーであるかは、歴史を振り返れば明白。
いまだかつて、世界中どの国にも…差別や偏見がなかった時代など存在しないからです。
美辞麗句を並べ、共同幻想を抱かせる。
そうした政治のスタイルは、急速に普及しつつある多様化を考えたとき…もはや賞味期限切れと言えるのではないでしょうか。
ともあれ”臭いものには蓋”という風潮が根強いのも現実。
”厳しい現実や不都合な真実を突きつけても、誰も得をしない”という身勝手な理屈も、もっともらしく聞こえます。
しかし、その思い込み…先入観こそが、多様性の容認への最も高いハードルとなっていることには、意外に気付かないものなのです。
私には偏見や固定観念なんてない!!って考えていることそれ自体が、思い込み。
誰にだって多かれ少なかれ、考え方が偏っている部分はある。
偏っているって言葉に抵抗があるなら”特徴的”とでも言い換えれば良い。
その差異を受容することこそが、ダイバーシティの本質だと考えています。
昨日も書いたように…人は、自分にできないことを軽々とやってのける人に対しては憧れを抱きます。
しかし、自分とあまりにも異なるものに対しては…恐怖を抱くもの。
恐怖を抱いた結果として、排除しようという意識が働きます。
今までの常識を打ち破るような人間が突然一人出てきたとすると、その事実を受け容れることは、世界はおそらくできないでしょう。
例えば100mを2秒で走るランナーとか、8割80本80盗塁のバッターとか…ま、何でも良いのですけど。
ライフスタイルや価値観の多様化が進んだ現在。
全ての人に対して平等に配慮することは、利害関係の入り組みようを考慮すると、現実的には不可能です。
だからこそ、全ての人が平等に情報に触れられる環境づくりだけは整えておく必要があると思うのです。
実際に情報にアクセスするか否かは自由だけど、意思を妨げるようなことがあってはなりません。
多くの情報が氾濫する世の中ですが…たとえばLGBTに絡む話など、センシティブな話題は避けられがちです。
また、カッコつけて…今回も横文字を多用してしまっていますが…。
エル‐ジー‐ビー‐ティー【LGBT】[lesbian, gay, bisexual, transgender]
《lesbian, gay, bisexual, transgenderの頭文字から》性的マイノリティーであるレスビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーの総称。
要するに性的マイノリティー絡みの話題などは、微妙で神経質な難しい話であるがゆえ、避けられる傾向にあるということ。
しかし避けているからこそ、タブー視されてきたからこそのマイナス面も確実にあります。
最後に先日話題になったニュースに関してのリンクを。
どう感じられたか…皆さまのご意見をお聞かせいただけると幸いです。
一橋大・ゲイとばらされ亡くなった学生 遺族が語った「後悔」と「疑問
実際に人が一人亡くなっているという事実、そしてその経緯が”特殊”であると感じられる人が一定数いるという事実…主義主張や立場により、感じ方が分かれる話でしょう。
この件に関しては自分自身の所感を含め…当ブログで改めて取り上げます。
少々長くなって参りましたので、こんなところで。
また明日!!