未来拓く、みうらひらくです。
価値観の違い。
よく見聞きする言葉じゃありませんか??
やはり…と言うべきか。
世界一優秀な物知り先生に尋ねてみると、価値観の違いはカップルの別れ、夫婦の離婚などの一因となることを示唆する検索結果が導き出されました。
まぁ要するにアレだ…価値観が違い過ぎると、対話しようとしても話にならない。
宗教観の違いなどが原因となり、いつまで経っても紛争がなくならないケースなどが端的な例。
でもさ、価値観って時代とともに変化するものだよね。
同じ国の同じ地方で、たとえば同じ信仰のもとで育ったとしても…時代背景が異なれば、考え方や感じ方が異なって当然。
つまり、世代が異なると価値観が異なるということです。
別に世代間闘争を煽ろうって話じゃない。
ただ、事実を確認しておきたいってこと。
その上で、将来の話をする際にどうした方がベターなのかを考えようってこと。
たとえばインターネット。
その普及により…情報伝達速度が距離をほとんど無視できるレベルに飛躍的に向上。
結果として”10年ひと昔”なんて言葉は現実に通用しなくなってきている感があります。
10年前なんて超昔です。
2006年の新語・流行語大賞ノミネート一覧をご覧いただければ、懐かしさとともに実感できるはず。
ググるって言葉が流行語にノミネートされているってことは、この頃からGoogle先生はずっとNo.1か。
つまり年齢が10歳違えば、それだけで価値観は超違って当たり前。
数十年も異なると、何言ってるのか理解できないことがあってむしろ当然だと言えるのではないでしょうか。
ただ、価値観が異なるからといって…ほなお別れしましょっていう話にできないのが会社や町内、地方自治体や国家といった集団の難しさ。
そういう意味では夫婦や家族よりも、難しいと言えるかもしれません。
当然個人差もあるわけですが…世代間によって、問題に関しての捉え方が異なるのは仕方がないというわけです。
じゃあ、どうするか??
問題の本質を見極めることが肝要です。
誰がその問題の当事者になるかってこと。
たとえば子育てに関して。
今現在の子育て世代の子育ての仕方…ネーミングセンス一つとっても違和感どころか不快感を覚える、かつての子育て世代は少なくないでしょう。
でもさ、それが今の時代の当事者の望みなわけで。
思い起こしていただきたい。
小さな頃から自分の名前を、好きで好きで仕方なかったかな??
あるいは大人になった今でも…好きじゃないって人もいるんじゃないのかしら。
少なくとも私自身は、子ども時代から好きだったかと問われれば…答えはNO!!
今では超好きだけど。
両親なり祖父母なり…誰かしら縁がある方が付けてくれた名前に文句を付けるなんてとんでもない!!…そういう考え方の人もいるのかな??
だったらなおさら、今の世代のよその家庭のことなんて放っておいてやりなさいYO!!
あんたに関係ないっしょ??
ま、文句つけるのは勝手だけど…やはり当時者でない人間の意見は、当事者の意思の前では勝ち目は薄いよね。
ただ一方で、そうした意見の方が正しいことも確かにある。
だからこそ、当時者だけで判断するのは危険な問題もあるわけです。
思いが強すぎると、視野が狭くなることもある。
とは言え、子どもの名前はくらいは好きにしたら良いと思う。
何これってレベルの名前付けられた子どもは哀れ。
でも、本人や家族がどう感じているかはわからないわけで…大きなお世話だろう。
難しいのは承知の上ですが、特定の世代の当事者性が明らかに高い問題に対しては、他の世代よりも当事者世代の声を重視できる制度を、仕組みとして整えることができたら、少しベターな方向に動くのではないかと妄想してみたりするわけです。
地方自治にはその可能性がある。
世代間という話でなくとも、当事者が中心となって問題解決を図っていくという仕組みは、たとえば裁判制度などは本質的に同じと言えないでしょうか。
妄想暴走気味ですが…世代間格差を問題視する観点からも、世代間でのバランス調整という方向性はアリではないかと…。
書き散らかした感が強く残りますが、本日はこんなところで。
また明日!!