未来拓く、みうらひらくです。
断捨離は苦手、みうらひらくです。
あるものを生かし、ないものを作る。昨日触れたこのスタンスって大事な発想だと思っているけど、まぁトラップもある。
何でもかんでも、あるもの全てを生かそうとしてもロクなことにならない。捨てるべきものは捨てないとダメ。諦めることが必要だってこと。観光なんて特にそのトラップにはまりがちな分野だ。
コッチが売りたいものを売ろうって思っても、売れるわけないじゃん。
買いたいもの売ろうとしなきゃ。
そう考えられるか否かは、結局のところ目的が何であるかによって変わってくる。
例えば自分が作りたいもの以外は作らないというスタンスを崩さないアーティストであれば、迎合する必要はないだろう。簡単に言ってしまえば、媚びる必要はない。
それでイケるならね。
結果が伴っている、つまりはソレで売れているなら…あなたは立派なアーティストである。線引きの個人差はあるだろうが売れていないなら?それはただの自己満足オナニストじゃないか?
こういうものが欲しいという要求にどこまで応えるか。それは職業作家にとって悩ましいところかもしれない。だが作家ではない人間にとっては、要求が明確であるならこれほどわかりやすい好機はない。
求められているものを提供すれば売れる、結果に繋がるのだから。
そこにニーズがあるのに、くだらないこだわりを捨てきれないのはアホだと思う。つまり地元産の〇〇とかに比重を置き過ぎて、本来優先すべきを見失うのは愚かなことだって意味でね。
あるものだと思い込んでいる、その地元の観光資源は実はないものかもしれないのだ。
価値があると思い込んでいるソレには、実は価値はないかもしれない。本当に大切なのは提供する側にとっての価値じゃなく、消費する側にとっての価値じゃない?
延々と同じことを繰り返していても、飽きられて下降線をたどるのは必然。結果が見えているのに何も対応しない者を愚か者と呼ばずして何と呼ぶのか?
気づいていない者は問題だが、気づいていて何もしない者はもっと問題だ。さらに言えば気づいていて何かしているかのように見せかける者が超嫌いだ。
問題を放置している人間は、その存在自体がもはやガンである。アホとかそんなレベルではない。
我々は現状の改善を、何の痛みも伴わずして願うことの都合良さに気づかねばならないと思うのです…何事についても。
本日はこんなところで。また明日!