未来拓く、みうらひらくです。
ブログが説教くさいとよく言われる、みうらひらくです。
説教とは何ぞや?
せっ‐きょう〔‐ケウ〕【説教】
[名](スル)
1 宗教の教義・教典を、信者などに、口頭で説き明かすこと。また、その話。「牧師が礼拝で説教する」
2 教え導くために言い聞かせること。また、堅苦しい教訓をいう語。「親に説教される」コトバンク デジタル大辞泉より
オヤジの専売特許だと思っていた説教。女性から説教された記憶がないのは恐らく記憶違いだが、圧倒的な上から目線で偉そうに攻めてくる連中はそれなりの年齢に達した男性に多いことには、疑いの余地があるまい。
退屈極まりない校長先生の長いお話を聞き続けるのは、学生にとって有意義だとは言えないだろう。子どもの頃のそういった説教の類、覚えている大人がどれだけいる?
子どもに話す際はもちろん、誰かに何かを話す場合にはその人に届くような話し方をしなくてはならない。難しい単語を並べたり、長時間話すなど爺行為、いやさ自慰行為に他ならないだろう。示威アピールは要らない…さっさと辞意を固めた方がイイのだよ、Gは。
キャッチーな言葉で惹きつけることは、ターゲットとなる人たちをその次のステップに進ませるため大切なことだ。だからこそあらゆる名称やタイトルは非常に重要である。
宮崎駿新作「君たちはどう生きるか」、名著のタイトルをパクっても問題ない?
例えば俺は、このリンク記事のタイトルはキャッチーだと思う。あの宮崎駿監督が今度こそ(?)最後の作品を撮るとのことで話題になっている件絡みだということがわかるし、パクリという言葉のチョイスも良いだろう。
しかし映画そのものにイマイチ興味が持てない。
その近因は”君たちはどう生きるか”というタイトル自体にあるだろう。だって説教くさくない?こんなこと言いつつも、最新作が公開されれば結局観てしまう程度の駿ファンではあるのだがなッ!
結局はファンにさせてしまえば勝ちである。つまらねえつまらねぇと言われつつも、ついつい気になって話を聞いてしまうような校長になることができればオヤジ大勝利。名物教師的存在だった恩師の方々を思い出してみても、エピソードは浮かんでくるが説教された内容は出てこない。
人間なんてそんなものかもしれない。
エピソードの共有に勝る説教など存在しないのかも。
…おっと、また説教くさくなってしまった。
では本日はこの辺りで。また明日!