未来拓く、みうらひらくです。
政治よりも性事、みうらひらくです。
昨日、一昨日と性教育に関してのエントリーを書いてきました。
性教育と政治なんて関係ないじゃんというツッコミもいただいております。別に全てのエントリーを無理に政治に絡める積もりでやっているわけではないのですが…ココは大いに関係あるのYO!
そもそも今回の事件の発端は、以前も性教育現場への”不当介入(最高裁にて確定済み)前科アリ”の政治家の暴走。かつて騒がれました七生養護学校事件の当事者でもある人物だったのです…この御仁は。事件当時、政治を志すなど夢にも考えていなかった私ですが…舞台となった学校が大学や住んでいた部屋と同じ自治体内のそれなりに近い場所だったため、少しだけ記憶しておりました。
良くも悪くも…政治家が騒ぐことで、事態は大きくなります。
当然ながら政治家の皆さんにはその自覚を大いに持ってもらった上で、責任感のある仕事をしていただかねばなりません。権力を持つと、偉くなったとでも勘違いしてしまうのでしょうね。例えば…俺はこの方がどういう思想の持ち主であっても、それを非難する気はないのです。それは誰に対しても同じこと。思想は人の数だけある。完全に同じ人間が存在しない以上、完全に同じ考え方をする人間もまた、存在しません。
思想は自由です。
日本国憲法第19条で保障されているのみならず…世界的にも、いわゆる自由権規約の中で認められていることです。
ですが、各人が思想を形成していく過程において…教育は必要不可欠なものであることは間違い有りません。教育の歴史は人類史そのものです。正しい基本的な知識を得るための手段として、そのスタイルは多様化して当然だと考えますが、必須です。
そして性教育は全てを自己責任に帰してしまうには、あまりに問題が大き過ぎるのです。性教育をオープン化することで、性にまつわるインモラルな部分が失われてしまうのでは?というご指摘もいただきました。言いたいことメッチャわかる。
だがしかし!
エロい物に被せてある蓋を取っ払ったからって、エロは蒸発したりしないぜ?
僕らのエロはそんな弱っちいものじゃないだろう?
オープンにすることで、クオリティー向上が図れるかもしれない。
政治と同じではなかろうか。
今まで一部の人たちのみによって行われてきた性教育。それは一部の人たちのみによって進められてきた政治と全く同じ状況だと言えはしないでしょうか。今後の性教育は、これから先の政治と同じく…正しい情報開示(事実と数字)と、判断の重みを理解してもらうことにのみ注力していくべきです。
最終判断は自己責任で行うことになり、場合によっては人生を左右する結果に繋がり得るものだと誰もが知るのです。
その適切な年齢がいつかなんて…正解があるわけない。それこそ、個人差ありまくりの話です。身体的発達だって個人差超あるじゃん?性的な判断をする年齢は異なっていて当たり前です。
大人になってからだって、判断の仕方が変わることなんて全然有り得る話です。最低限の情報だけを与えておけば、子どもは勝手に続きの情報を収集します。ナメちゃいけません。
だって俺らも、そうしてきたでしょ?
自由に裁量できる範囲は大きい方が本当は良い。ただ心も体も未成熟な内から完全にフリーにしてしまうと必ず、そこにつけ込む輩が出てくる…大人のケース以上に。だからこそ、教育や法の庇護が子どもたちには大人以上に必要だと考えます。
この問題は根深く、また本能に由来する側面も持ちますので難しいのは事実です。
でも政治同様に、考えるのをやめたら全て終了でしょ!
本日はとりあえずこんなところで。また明日!