終戦の日。祖父の逝去と墓参り、祈りと花火と明日への希望。

未来拓く、みうらひらくです。
津山市議会議員、三浦ひらくです。

オラに力を分けてくれ!鏡野町奥津温泉に魔除けの大輪咲かそう。

2021-08-14

昨日のエントリーでは、皆さまに今日の天気が良いものになるように祈ってほしいという内容を書かせていただきました。その願いは降り続いていた災害級の大雨が止むことはもちろんのこと、鏡野町・奥津温泉街で予定されている花火大会を実施できるようにという気持ちを込めてのお願いでした。そして津山市周辺の皆さまはご存知のように…今日は朝から良い天気になったのです!

今回の豪雨被害、津山市では結果的には田畔崩壊と倒木報告が1件ずつあった程度であり…現時点ではそれほど大きな被害は発生していないはずです。とは言え、降り続いた雨で地盤が緩くなっていることは確実ですし…まだまだ引き続き注意が必要ですが、15日朝のうちに全ての避難指示を解除し、避難所は閉鎖されました。

気象警報の解除を受け、津山市災害警戒本部も解散しています…関係者の皆さま、お盆期間中の土日に本当にお疲れ様でした!

皆さまがたのお力添えもあって、おかげさまで今夜8時、無事に「奥津温泉2021魔除けThe花火」が開催できたのです!

多くの人の思いを乗せて…鏡野町、奥津温泉街の夜空に、沢山の大輪の花が打ち上がりました!

ツイートから動画をご確認いただけますが、本当にすぐそこ…数十メートル先で打ち上げる様子は迫力満点としか言いようがない。

コロナ禍で近隣だけでなく全国の多くの花火大会が中止になる中で、そして豪雨が全国的に災害級の被害をもたらす中で、それでも花火大会を開催するという姿勢には賛同できた方ばかりではないかもしれません。

しかしそれでも地域の皆さんに”上を向いてもらいたい”という強い思いを持って、地元有志の方々が中心になって開催する熱い気持ちの結晶が…ただでさえ美しい鏡野の夜空を彩った夜でした。曇っていて星が見られなかったことは残念でしたが、昨年のこの大会の帰りには星を見て帰ったことを思い出しました。

8月15日、終戦の日でした。

様々な現実に思いを寄せました。

昨日も触れたように…もともとは飢饉と疫病の流行で亡くなった多くの方々の魂の慰霊と疫病退散を祈願して行われた江戸時代の祭りが、現在の花火大会の起源だと言われています。

世の中には祈ることしかできないような事態も存在しますし、祈っても願ってもどうにもならない理不尽も存在します。

世界に存在する多くの理不尽の中で…多くの人にとっての最も強い悲しみは恐らく、誰かが世界から永遠にいなくなることではないでしょうか。

そして、その最大の強い悲しみをとんでもない量、一気に人々のもとに有無を言わさず届けるのが飢饉や疫病であり…戦争なのです。

訪れるのがお盆というタイミングもあり、強くそれを意識した日でした。

6年前の8月31日、91歳の誕生日を迎えた祖父。

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幼く感じやすかった私とっては、戦争について学校で学ぶ教育やテレビで目にする映像、図書館で読み漁った資料などはとてもインパクトがあり、非常に色濃く影響を受けていることを自覚しています。また岡山県津山市で生まれ育ったことも、隣県にあるヒロシマの8月6日を繰り返し学ぶ助けになったかもしれません。小学校の修学旅行先でした。

ただ、最も鮮烈に戦争の話を聞かせてくれたのは祖父、そして祖父の義母にあたる曽祖母でした。

小学校のとき、おじいちゃんやおばあちゃんたちに戦争の話を聞いてくるという趣旨の宿題がありました。今では色んな意味で難しいであろう課題です。本心では、決して彼らも語りたくはなかったであろうこと…当時の記憶を、特に曽祖母は、電話口の向こうで何度も言葉に詰まりながら、それでも絞り出すように語ってくれたことを当時私がどこでどうやってどういう姿勢で聞いていたかまで、ハッキリと記憶しています。

ちょっと信じられないくらい過酷な課題だったと思いますが…話してくれた二人には感謝しかありません。花火の前に、吉備中央町にある二人のお墓に参ってきました。

祖父が亡くなったのは今年のGW。

このところ一年以上、会うことも出来ないままでした…まだまだ伝えたいことが沢山あったけど、届けられなくなってしまいました。平均寿命が何歳であろうとも、そんなことは個人的には全く関係がない話です。

大切な人が世界からいなくなることは、何歳の誰であろうと…つらく悲しい。

生きていたら必ず経験することになる別離ですが、なかなか割り切れるものではないと思います。

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2021-04-17

娘がこの世界からいなくなってしまってからも…様々なシーンで助けられているな…守ってくれているなと、彼女を身近に感じることがよくあります。

昨日もそうでした。

何年ぶりかわからないレベルで墓参りに行けていなかった私…信じられないようなタイミングで通りかかった方とのご縁で、迷うことなく墓前にたどり着くことができました。こうした積み重ねをただの偶然で片付けることは簡単ですが…自分自身の中では偶然で片付けられないことが沢山あり過ぎるのです。

それってやっぱり、ご先祖さまや一足先に世界からいなくなってしまった大事な誰かが守ってくれているんだという風に考えることは…あっても良いと思うのです。

だって確実に、その人たちがいないと今と同じ自分自身は存在しませんからね!

本日のアイキャッチ画像は、生後7ヶ月になったばかりの娘を連れて行った際の写真…7年近く前(髪のボリュームよ…。)。後ろの絵は亡くなって久しい祖母が描いた作品です。

この世界から先にいなくなった人たちに対して、残された自分が胸を張れない生き方はできません。

祈るしかないこと、願うしかないこと、そして祈っても願ってもどうにもならないことも確かにあるのは間違いありませんが…そうした理不尽すら、この世界に生きている私たちにはどうにかしようとすることができるのです。

そして事実間違いなく…人類の歴史の中で少しずつ、私たちの生活は改善されてきています。飢饉や疫病が大流行した江戸時代よりも、戦争で多くの命が奪われた昭和初期よりも、はるかに良い時代になっている”はず”ですし、それを認められない人は(もちろん自由ですが)、残念だなと感じます。

先人が多くの血と汗と涙、そして命すらも賭して守って、築き上げられた今の世界の中に暮らしていながらにして…感謝やリスペクトを感じられないようにはなりたくないものです。そんなわけで”逝去”ってのは身内に使う表現じゃないだろ的なことを言われた際への言葉狩りマンへの言い訳を先に書いておきます。あえて使っているってことです。

ジーさんをリスペクトして、感謝しているからこそ。

今日はとても沢山の場所を訪れ、多くの人と出会い、様々な話をしました…だからって言ったら言い訳になるけど、思いっきりブログ更新の途中でPC開いたまま寝落ちしてしまった!

その中では生きているからこそできる未来への希望の話もさせてもらえたし…良い時間もありました。

書きたいことや思いが多過ぎて、話が逸れまくって、エントリー自体まとまりがない内容になった感はありますが…ともかく花火大会は最高でした!おかげさまで目覚めたら感謝のメッセージ等も届けていただいていましたが、私は昨日も書いたようにただの宣伝告知マンです。準備も片付けもお手伝いせず、楽しむだけ楽しませていただき失礼したもで…その意味では一般の皆さまと同じ立場です。

お礼を言っていただける立場ではありませんので、代わりに大声で伝えておきます…ここでも改めてね。

実際に現場で段取ってくださった皆さま、有難うございました!そして祖父が教えてくれたことから学んだ教訓を、いつか自分も子どもたちに伝えていかねばならないと思うのです。

本日はこんなところで。また明日!

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三浦 ひらく

三浦 ひらく -PROFILE-

世界を暮らしやすく楽しく変えるため、相棒ひらくマと一歩ずつでも現状改善していくために日夜ハゲむ、1978年生まれの岡山県津山市議会議員。選択肢の多い社会を目指し、政治も手段の一つと捉え、地域振興、多様性理解促進、生きづらさ解消、表現の自由を守るための活動、インフルエンザ脳症撲滅、臓器移植意思表示推奨などをライフワークとして活動している。

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