未来拓く、みうらひらくです。
まだ”恥ずかしい”と感じる心を失ってはないない、みうらひらくです。
選挙ポスターについて取り上げたところ、衝撃的なお声をいただきました。しかしこれが事実で、率直な声なのだ。
「選挙ポスターを見ている姿を見られることが恥ずかしい。」
「じっくり見たことない、だからもちろん見比べたこともない。」
ポスターを見ている姿を見られるのが恥ずかしい…だと?
なんてこったい。
だがしかし、政治への興味を示すこと自体が恥ずかしいことであると思われている事実を端的に示すこの感想は、改めてこれじゃダメだと思わせてくれた。
選挙の際には毎回選挙ポスター専用の掲示板が設置される。そのコスパの悪さは以前から指摘してきている通りだ。また、候補者陣営が全ての掲示板にポスターを貼って回る必要があるというハードルの高さも、既得権益層以外の人にとってはデメリットしかない。詳しくは下記エントリーをご覧いただきたい。
そもそも、選挙ポスターに必要な要素とは何だろう?
実は名前、スローガン(キャッチコピー)、写真…そのどれもが、必要ではないのだ。
写真も子どもの頃のものでも構わない。原則的に内容は自由なのだ。
津山市議会議員選挙では一応、選管へ一枚提出するように言われた記憶はあるが、余程のこと(明らかな虚偽事項や事実誤認を誘導させるような文言等の記述)がない限り、問題ないと言われた。公序良俗に反すると認められるような内容を書いても、選管以外のところから指導されることになるし…そもそも誰も得しないだろう。
もっと言えば、選挙ポスターは別に貼らなくても良い。先に少し触れたことだが、多くの選挙では選挙区内の掲示板は膨大な数にのぼる。津山ですら記憶では378箇所あった気がするが、市長選の時の報道では377箇所って言ってたから減ったのか…いずれにしても凄い数だ。
告示後に各陣営スタッフが一斉にポスターを貼りに行かねばならない現状は、実際に参加してみて決してコスパが良いとは思えないものだった。俺が選挙に挑んだ際には友人知人に頼みこみ、休日に数時間を費やしてもらう地道なバイトを受けていただいたことで、ようやく貼り終えた。
それだけの思いをしてまで貼った選挙ポスター…しかし!
見ている姿を見られるのが恥ずかしい。
じっくり見たことがない。
マジっすか。もうコレ、要らないんじゃないですか?
完全にデジタル化してネット公開のみにする方が良いと思うんですよね、本当は。とは言え、ここでそんなこと言っても変えられない。変えられる範囲でどうするかが重要ってことで、選挙ポスターリノベーション計画は次回に続く。
本日はこんなところで。また明日!