未来拓く、みうらひらくです。
投票に行かなかったこと…あります、みうらひらくです。
恥ずかしながら…ね。自慢できることでないのはわかっております。本来こうしてあえて全世界に向けて発表する必要があることでもないでしょう。しかし、同じ経験をしたことがあるのが多いのは間違いない。
だって投票率、超低いわけです。
大学生の頃かな…行かなかった時の気持ちはうっすらと記憶しています。理由が何だったかは忘れましたが、それよりも優先したいことがあったわけです。
せめて彼女とデート…とか楽しい理由だったと思いたい。
何はともあれ、面倒だったのです。
そしてこう思いました。
俺が行っても行かなくても、どうせ変わらない。
そう思うことで自分自身を納得させて、何となくあった罪悪感のような感情を打ち消したのだと思います。
もちろん、選挙に行かないという選択肢もあるでしょう。自由だと言ってしまえば自由です…権利を行使しない自由はある。しかしそれでいて結果に対して文句を付ける…つまり政治に対して不満や不安を口にするのは、やはり筋が通らないのではないでしょうか。
今現在そう考えるようになったからこそ、そして生来の生真面目さ(嘘つけと思ったアナタ、大丈夫…異論は認めます!)や、貧乏くささ(選挙権を行使しないのはモッタイナイと感じてしまう!)ゆえに選挙には欠かさず行くようになっております。
そうするとわかることもある。
行っても行かなくても変わらないと言うのは大嘘。
一票が結果を左右することは実際にあるのです。
私が住む津山市…4年前に私自身が挑んだ津山市議会議員選挙でも、かつて1票の差で当落を分けたケースがあったと聞いております。
実は近隣自治体にもそんな話はいくらでも転がっています。Google先生に尋ねてみれば、各地でいかに接戦が繰り広げられてきたか…そして時に結果がひっくり返ってきたか…知ることができます。
最近だと、この件が有名かな。
この件は司法に判断が委ねられた結果、最終的には昨年末最高裁への上告が棄却され、当選無効が確定しております。
この時、もしも誰かの1票が加わっていれば…その誰かがもう1人いれば、さらに1人いれば…などと考えても、あとの祭り。
1票は重いものですし、結果が全てなのです。
先日ちょっと面白い話をしました。
選挙のあり方を根底から変えられたら…もっと自分自身の1票の価値を感じられるのではないかというアイデアをいただきました。
現在の選挙は皆さまご存知のように得票の多い方が勝ち…だからこそ様々な不正も噂されます。無理やり名前を書かせているのではないか…買収があるのではないか?
これを根底からひっくり返すのです。
つまり、この人にだけは落っこちて欲しいという人の名前を書く。
要するに、得票が多ければ多いほど…有権者から落っこちて欲しい人だと認識されていることになる。得票の多い人が落選する。皆が疑問に思う「何であの人にあんなに票が集まるんだ…?」問題が解決することが期待できます。
当選してほしくない人を落とすための選挙です。
何十人も立候補するような選挙では、全く得票のない人もいるかもしれない。政治へのアプローチが尖っている私のような者にはマイナスに働く気しかしませんでしたが…ちょっと面白いなと思った次第です。投票率が上がるかもしれないよねってことで。
まぁしかしこれは妄想に過ぎないわけで…実現には凄まじいハードルが存在します。だからこそ即効性の高い施策を講じる必要があります。
へぇ、そんな立候補予定者がいるんだね!
雑談感満載でしたが、こんなところで。
また明日!