未来拓く、みうらひらくです。
津山市議会議員、三浦ひらくです。
人間、一言で全てを失うこともあります…。
沈黙は金、雄弁は銀などと言ったりしますし…口は禍のもとという言葉もありますね。これらは私たちには黙っておくべきときがあるし、下手に口を開くのであれば何も喋らない方がマシだという戒めが込められた箴言であり、幼稚園の頃から先生に”口がひらくくん”などという独特のニックネームを付けられていた私は、残念ながら今でもしばしば、自分自身でも失敗したなと感じるほどに余計なことを言ってしまう傾向があります。

標題とは逆の話ですが、たった一言で誰かとの関係性にヒビが入ったり…まとまりかけていた話が御破算になったり…積み重ねてきた信用を崩壊させてしまうようなことは、自分自身がどういった立場で経験しているかはさておき…多くの人が体験、または見聞きしたことがあるのではないでしょうか。そんな経験は当事者の立場で巻き込まれずに済むものならしたくないところですが…私自身も正直、思い当たることがあるからこそ書いています。具体的エピソードとして思い描けない方は、政治家の失言の類でも思い浮かべてくだされば、わかりやすいかもしれません。
何であんなこと言っちゃうんですかね?
あんなことと言っても、具体的な誰かの何かに関する発言を想定しているわけではないのですが…本当にもう、よく次から次へと出てくるなというレベルで頻発しているような気がしますし…しかもときには”取り消す”とか言ったりしますよね。口から出た言葉はなかったことにはできないと思うんですけどね、個人的には。
ただ…たった一言で救われた経験というのは、もしかしたら、あまり具体的にイメージできないかもしれません。

今日は、とても小さなことに思われるかもしれませんが…私自身がつい最近したそうした経験について、書かせていただきます。
当ブログでは何度も関連エントリーを書いてきていますし…一昨年の12月には、地上波のテレビ番組に出演させていただくなどして発信していることですが、私は色覚異常者です。実際に、私の目で見える世界をイメージとして体感していただければということで、色覚テストを受けてみた様子を動画で公開したこともありました。
つまり私は、多くの人と色の見え方が異なるわけです。
動画の中でも説明されていますが…こうした人は男性であれば5パーセント程度いると推計されている(女性では0.2パーセント程度)のですが、偏見や差別を助長する”かもしれない”との、極めて微妙な理由により、2002年からは小学校での検査が必須ではなくなっているのです。ただ、こうした検査が実施されなかったことで、成人後に自身の特性に気づく方も出てくるわけです。場合によっては希望していた職種に就けないといった弊害が出ることもあり得るわけで、それが不当なものである場合には当然に改善していくべきですが、私は個人的には検査自体は基本的には実施すべきだと考えています。
私自身、検査を受けた際の衝撃をよく覚えています。
実際、ものすごくショックでした。
クラスメイトの誰もがスイスイと答える数字が、私には全く見えなかったのです。
「俺くらいの天才になると、見え方も君たちとは違うのだよフッフッフッ!」などと言える、少しばかり頭のネジが飛んだ子どもだったので、何とか友人たちの前で虚勢を張るくらいのことはできましたが…正直に告白すると、自尊心や自己肯定感を大きく損ねる体験だったことは確かです。
だからこそ、できるだけ早い段階で検査を受けておいていただきたいと願います。

そしてそれを、保護者と教員をはじめとした周囲の大人たちが、正しい理解のもとで個性として尊重し、支えていくべきです。
以前、津山市議会においても質したことがありますが…令和4年の段階では、上に書いた割合を津山市内の児童生徒に当てはめると…実に約200名の子どもたちが潜在的に色覚異常だと考えられる状態でした。実際に津山市内に住んでいる、色覚異常の児童生徒と保護者の方から連絡をいただいたこともあります。こうした状況を放置しているに近い現状は、誰一人取り残さない姿勢で取り組んでいるはずの教育行政のあり方に逆行するものではないかと、リンク先の記事でも書いていますが…今でも同じように感じています。
色覚異常は障害ではありません。
それゆえに、ある意味では無視されてきているのではないかなと感じます。また、色覚異常者である市内在住の高齢の方からは、差別・偏見に晒されてきた壮絶な過去について伺ったこともあります。

前置きが長くなりました。
多くの人にとっての当たり前が共有できないのは、実はなかなかつらいことです。
このテーマに関しては私自身も明るく話せないような体験もしてきましたし…色々と思うところがあることです。今でも身近な人であっても悪気なく、色で何かを区別して認識を共有しようとされることが多々あるのが現実です。
そんな中で先日…某所にて、ちょっとした買い物を頼まれたことがありました。
ところが頼まれた品物を求めに行った先では、少しだけ色を変えた同じようなパッケージの商品がたくさん並んでいて、どれが買うべき品物なのかが自分には判断がつかなかったのです。もちろん、もう少し詳しく話を聞いていればそんな事態は防げたのですが、それは今回問題ではありません。ともかくそこでメールで確認したのです…パッケージは何色かなと。色がわからないなどとは入れませんでした。
エメラルドグリーンだよ、間違ってもいいよ、と短い返事が来ました。

これは本当にたまたまの偶然なのですが、エメラルドグリーンという色は…小学校の際に、色がわからないという悩みを抱えていた自分にとって、とても印象的なエピソードがある色でした。当時、BB弾という小さな玉を集めるのが流行っていて、珍しい色だと友達が自慢していました。エメラルドグリーンなんて見たことも聞いたこともない色でしたが、宝石の名前が冠された色なんてメチャクチャかっこいいなと思ったんです。当時の私はただの青でもサファイヤブルーとか言われるだけで欲しがったでしょう。ともかく私はエメラルドグリーンを手に入れるため、自分のお気に入りのマダラ模様のBB弾や、他のいくつかの玉を引き換えにしました。友人からエメラルドグリーンを譲ってもらい、その色を区別できるように、画像として覚えようと努力したのです。
それでもやっぱり今回、これがエメラルドグリーンだとは100パーセントの確信は持てないまま買って帰りました。
「これこれ、大正解、ありがとう!」と喜んでくれた方の表情と、間違ってもいいよといってくれた配慮を、自分は一生忘れないと思います。
恐らくそんなに深く考えることなく入れてくださったはずのメッセージですし、自分が色覚異常者だということをことさらにアピールしたわけでもないわけで…もちろん知っていたからこそできる配慮ではありますが、人に対してこれだけ思いやりを持って接することができるような人間に、自分もなりたいなと、心からそう思いました。

だからこそやっぱり、正しい知識の普及啓発が肝要です。
色覚異常は悪いことではないのです。隠す必要なんてないし、見た目で明らかにわかるものではない以上、他者との円滑なコミュニケーションを考えた際には、むしろ積極的に周知していくべき特性、個性の一つではないでしょうか。
臓器提供などについても同じことが言えますが…誤った知識や誤解、デマ等が原因で誰かが傷つくことや、本来受けることができたはずの利益が損なわれるようなことはあってはならない話。そうした理不尽を解消していくために、これからも必要な取り組みを行ってまいります。
一言で救われることもあるんだよって言いたかっただけなのに…熱い話になりました。正直、これを書いている段階で少し泣きました。ご本人がここをご覧になることはないでしょうが、心から感謝しています。
それでは本日はこんなところで。また明日!