未来拓く、みうらひらくです。
津山市議会議員、三浦ひらくです。
夜になって不意に気づきましたが…ものすごく久しぶりに、本日はただの一人の議員とも連絡を取りませんでした。その代わり(?)首長や民間企業の皆さまとはコミュニケーションを図りましたが…いつ以来だかわからないくらいの、とても珍しい一日でした。その事実に違和感を覚え、ふと気づくくらいには…自分自身が議会あるいは政治の世界にドップリと浸かってしまっているというのも事実なのだなと改めて確認できたところです。
良い面もあれば、悪い面もある。
これは何事であってもそうで…誰もが幸せな世界や、誰一人取り残さない社会の実現なんていうのは…とても良く見聞きするフレーズではありますが、メチャクチャ難しいこと、限りなく不可能に近い話だと思っています。
昨日、連日の顔合わせ(パソコンの画面上でですが…)となった面々との話の中で…ある議員がSDGsのような考え方を行政が提唱するのはものすごく重いことで、本当に本気なら全力で取り組んでいかないとならない(つまり実際はそうなっていない)という趣旨のことを話されました。
完全同意…口先だけ、形だけの施策が大嫌いです。
本気でないなら…誰一人取り残さないなんて、言わない方が良い。
現実には取り残されている人たちが確実に存在し…疎外感や孤独感を覚えている人たちがおられるわけですから。
多くの自治体と同じように、津山市でも市長や教育長は”すべての市民が〜”とか”すべての子どもたちに〜”といった趣旨の発言を多用されますが、それ自体は本気なら大変素晴らしいことですが…これが口先だけの表現に留まっていては、何の意味もないどころか、逆効果になり得るという意味です。
そのあたりは先だっても全文を公開した…「津山市教育振興基本計画(第3期)」(案)へのパブリックコメントに寄せた意見の中でも触れたところです。
まず、特定のページを指定するまでもないかと思いますが、本計画内に繰り返し登場する”すべての子どもたち”という表現についてです。
現実的にすべての子どもたちに個別最適化した学びを提供することは極めて難しく、実際問題として取り残されている子どもたちが少なからず(少なくとも複数の児童生徒の存在を把握しておりますので、私は少なくないと思っています)存在する以上は、現実に即した表現とすべきです。
つまり”すべて”という表現は取ってしまうべきだと考えます。
無論これは”すべてとは書いていませんよ!”というような言い訳を用意しろという意味ではなく、むしろ”すべて”と表現していることで生じる”(SDGsに代表されるような)時代の波に乗っている感”だったり”(実際には出来ていないにもかかわらず漂う)やっているぞ感”を排除したいという趣旨です。
また”すべての子どもたち”と表現することで、先に触れたように現実に取り残されていると感じている子どもたちと保護者の皆さまが、より一層の疎外感や置いてけぼり感、不安や不満を抱えてしまう結果になります。
こうした結果を未然に防ぐことは自己肯定感醸成はもちろん、他を尊重する心、道徳心や地域や郷土を愛する思いの育成にも必ず繋がっていきます。
楽しい思いをしていない、それどころか自分を認めてくれなかった人や場所への愛着など湧くはずがありませんし、住み続けたいとも思わなくなってしまうでしょう。
これは津山の未来のために大切なことです。
こうした観点から、口先だけで”すべての子どもたち”などと掲げるのではなく、あくまでもすべての子どもたちのことを考えつつも(それはあまりに当然のことで、改めて表明するまでもないことだと思うくらいです!)、すべてのという表現は削除した上で、ときには財政事情などの合理的配慮により、あらゆる望みに応えていくわけにはいかない現実、それでもできる限り前向きに現状改善に取り組んでいこうとする意思を、実効性の高い具体的な解決策とともに示していくべきです。
ちなみに。
この意見に対する津山市教育委員会の回答は以下のようなものでした。
本計画は、国県の教育振興基本計画を参酌するとともに、国のGIGAスクール構想や中央教育審議会の答申等を踏まえ策定しています。
GIGAスクール構想では、「多様な子供たちを誰一人取り残すことなく、公正に個別最適化され、資質・能力が一層確実に育成できる教育 ICTを実現する」ことが掲げられております。
また、中央教育審議会の答申(「令和の日本型学校教育」の構築を目指して)においては、「全ての子供たちの可能性を引き出す、個別最適な学びと、協働的な学びの実現」が掲げられており、こうしたことを踏まえた記述としています。
これ…回答になってるかね?
国がそう言ってるのでそう書いています…としか読めなくて、広く一般から意見を募り、募った意見を考慮して、行政運営の公正さの確保と透明性の向上を図って、住民の権利利益の保護に役立てようという姿勢など微塵も感じられないのが正直なところ。
3月議会での質問内でも、届いた意見への回答は言い訳だらけであまりに不誠実だと断じた、件のパブリックコメントへの津山市教育委員会の反応を以下に紹介しておきます。個人的な心象では突っ込みどころが満載なんですけども…。
これを読んでどう感じられるでしょうか?
本気でないなら…誰一人取り残さないなんて、言わない方が良い。
それは間違いないことで大事なことだと考えているから、上で書いたのと同じことをもう一回書きました。そして、誰一人取り残さないなんて限りなく不可能に近い無理ゲーだということも…わかっています。
でも不可能だとは言いきりたくない自分がいるのも事実なんだよね!
だって、そこを政治があきらめたら終わりでしょ!
世界一あきらめの悪い市議会議員、引き続き頑張っていきます。
本日はこんなところで。また明日!