未来拓く、みうらひらくです。
津山市議会議員、三浦ひらくです。
今日は自分にとって一年で最も大切な日の一つ…娘の誕生日です。愛娘・愛來(あいく・愛称くーちゃん)がこの世界からいなくなって…もう2年以上が経ってしまいました。
彼女との時間ほど大切なものはなかったと、どれだけ強く実感してみたところで…くーちゃんがこの世界にもういないことは厳然たる事実。世界から色がなくなってしまったような、そんな大きな喪失感は、今でもずっと消えることなく私の中にあります。
娘とはお風呂の中で様々な話をしました。妻からは長風呂が過ぎるということでそろそろ出なさいと注意されることもしばしばあったほどに…彼女の知的好奇心を満たすための質問に答える時間が、私にとって至上の喜びだったのです。
「平和って何?」って尋ねられたときに「世界中の人たち皆が喧嘩しないでいることだよ。」と答えた私の顔を見て、彼女がしみじみと呟いた「パパ、平和が良いねぇ…。」という言葉が忘れられません。家庭内も、幼稚園も、職場も、自治体も…もちろん国も、平和であることほど望ましい状態はないのではないでしょうか。
平和には戦争がないことが必要条件でしょう。
同じように…人が幸せであるためには、悲しみをできる限り減らしていくことが大切である(しかしこれは決してゼロにはできないことも受け止めなくてはならない)と私は考えています。我々が平和に、できる限り幸せに生きていくためには幸せを増やすことだけでなく、悲しみを減らすための工夫も肝要だということです。
世界中の誰がいなくなってもそうであるのと同じように、くーちゃんがいなくなっても…世界はもちろん今日も続いていますが、私の世界は大きく様変わりしてしまいました。
私がもう少し賢明だったら、もう少し思慮深かったら、もう少し娘のことをわかっていたら…もう少しだけ彼女に対して優しかったなら。
私より早く…こんなにも早く、くーちゃんがこの世界からいなくなるような事態には至らなかったのではないかという気持ちが、誰に何を言われようと消えません。こんな風に感じるのは情けなく、そしてつらいことでもあるのですが…どうしても考えてしまいます。正直に告白してしまうと、とても苦しいです。
それゆえにこの世界のどこかに、新たにこんな思いをする誰かが出てこないように努めることが私にとっては極めて重要なのです。こうした努力の積み重ねが、ほんの少しだけでも間違いなく世界を平和にすること…皆が幸せに生きていくことに繋がると確信しています。
ただ、こうした理不尽は残念ながらゼロにはできないでしょう。けれども、理不尽をゼロにできないからといって諦めるわけにはいきませんし…一人でも救われるのなら、一人でも多くの人の心が安らぐための手伝いをできるのであれば、それは信じられないくらい大きな価値があることだと思っていますし…それで報われる部分が少なからずあるのです。
少しだけ、救われるのです。
そこに全力で取り組んでいくことは今の私でなければできない使命であると同時に、娘に対して胸を張れる仕事になると思っていますし、くーちゃんは間違いなく応援してくれるはずです。それはきっと…彼女がこの世界に生き続けていたなら選んでいた道だったはずだからです。
「世界中の人のためになりたい!」
そう言っていた娘は誰よりも優しい子で、彼女よりも優しい人間を私は知りません。
昨年の彼女の誕生日から、彼女の思いを引き継いでいくために何ができるかを考えて、Twitterなどを活用して”誕生日おめでと運動”という取り組みを行っています。今年は…もうしばらく詳細を書けませんが…より具体的な、今の私でなければ取り組めない課題解決に向けたアクションを、覚悟を決めて行っていくことを宣言しておきます。
物議を醸すことになることもほぼ確定ですが、目的達成のために本気で取り組む以上は、現状の理不尽に目を瞑っているわけにはいかないし…それは公益にも繋がり、くーちゃんも絶対に喜んでくれると確信していること。
娘がいなくなった際にこの世界から色がなくなってしまったような喪失感を覚えたと書きましたが…それは決して大袈裟ではありません。
当ブログでは何度か書いてきていることですが…実は私は実際に色覚異常者で、色の見え方が多くの皆さまとは異なっているのです。それは長い間、私にとって受け容れがたいことでもあったのですが…その事実と苦悩すらも、彼女は誰よりも理解してくれていました。
家族の中でさえ「そこの〇〇色の△△を取って!」などと、悪気はないけれどついつい色をベースにした表現が出てしまうことがある中…彼女だけがすぐに「パパ、これは〇〇色だからね!」と、いつも教えてくれました。
誰に言われるでもなく、父親の困っている気配を一瞬で感じ取って配慮してくれる天才児っぷりには…飲食店経営の中で接客のイロハを教えていたり…観光に携わる仕事の中でおもてなしがどうのこうのと言っていた自分自身が恥ずかしくなるほどの、誰よりも真っ直ぐな思いやりが溢れていました。
本当に天使のような子。
こんな親バカな私ですから、娘を初めて抱いた日のことは覚えています。
でも、最後に抱きあげた日はいつだっただろう…?
明日が今日と同じように訪れるか、今日がいつもと同じように平和に終わるのか、それは誰にもわかりません。また後で、また今度、そう思っていてもその次回が訪れない可能性は…実は相手が誰であってもどんな時でも常にあるのです。チャンスはその時が最後かもしれないのです。
だからこそ、毎日に悔いがないように生きたいもの。
まさしく一期一会の思いで暮らしていくべきなのではないでしょうか。こう表現すると難しく思われるかもしれませんが…実はとても簡単なこと。
大切な人にはできる限り優しく接し、大切な人に胸を張れるような生き方をすれば良いだけ!
正直、できているとは言い難いので…私自身も頑張ります。
叱られちゃうからね!
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くーちゃん、誕生日おめでとう!
それでは、また明日!