未来拓く、みうらひらくです。
津山市議会議員、三浦ひらくです。
インフルエンザ脳症に倒れ、1ヶ月ほどの闘病ののちに亡くなり、臓器提供した最愛の娘・愛來(あいく・愛称くーちゃん)。
彼女がこの世界からいなくなってしまって…もう4年4ヶ月が以上経つわけですが、それでも存在は近くに感じていて、妻や息子、自分を含めた家族や彼女が好きだった友達、くーちゃんを可愛がってくれた皆さま、一度も会ったことがない人たちすらも守ってくれているんだなぁと思うようなとても不思議なことも何度もありました。
元気だった頃には本人から使って欲しいと言われても、私の判断によりくーちゃんの写真や動画を載せることはしなかった当ブログですが…彼女が倒れてしまった後には、沢山の姿を公開してきています。
理論上、ネット環境さえあれば世界中どこからでも見ていただける、娘に会っていただける状況にあるわけですが…そういう意味だけでなく、くーちゃんは世界中を元気に飛び回っているんだなぁと感じることもできます。
臓器提供したからです。
その決断はこの世界に残されることになる私たちにとって、決して簡単なものでなかったことは言うまでもありませんが…少なくとも妻と私にとっては、大きな希望になっています。
一昨日、千葉県の病院に急性脳症で入院していた6歳未満の女児が亡くなり、ご家族が臓器提供に同意されたとの報道が出ていました。
娘のときとほとんど同じケース。
ご家族の心痛を思うと苦しくなりますが、いくら同じような経験をして、ドナー遺族という立場である人間であっても、その気持ちを100%理解して共感することなどできるはずがありません。
人それぞれ、だからです。
私たち家族についてでさえ…妻と私でさえ、導き出された結論が正解か不正解かなんて、判断できることではないし、100パーセントの善だなどと言うつもりもないし、誰かに押し付けたりする意図は一切ありません。
ただ経験者として、ドナー家族(できることならやっぱり”遺族”という言葉は使いたくないのが正直な気持ち)として、同じ決断をした家族の皆さまの思いについては、最大限最上級の、本当に心からの敬意を表します。その勇気ある決断は、間違いなくどこかの誰かの命を救い、その人だけでなく周囲の方々の希望となり、喜びに直結する、圧倒的な利他行為だからです。
自分自身の大切な人がこの世界からいなくなることが避けられなくなった際…それを受け止めること、受け容れることは、その誰かがたとえ何歳の誰であったとしても、簡単なことではないでしょう。
涙が沢山出ることもある。
その人がいなくなった世界に自分自身が生きていることがつらくて苦しくて、何の意味も希望も持てなくなるかもしれない。
でもそんなとき…もしかしたら少しだけ悲しみを和らげて、未来に繋がると思えるかもしれない選択肢があるのだとしたら、それを提示されないことはあってはならないと私は思うのです。
先だって、共同通信の記者さんから小児の脳死下臓器提供が100例を超えたタイミングで意見を求められた際の話が記事化され配信されました。すでに新潟、長野、静岡、沖縄等の新聞で紹介いただいているようです。有難いことに香川からも以前、津山市議会にわざわざ傍聴にも来てくれた友人である高松市議会議員、もてき邦夫さんが四国新聞さんの24日付けの紙面を送ってきてくださいました。
記事写真はクリックorタップしていただければ拡大できるはずですが…小児の脳死下臓器提供は2010年7月の改正臓器移植法施行以来、およそ15年を経るわけですが、ようやく100例を超えたところです。しかもここで言う小児とは18歳未満であり、6歳未満の児に限って言えば、一昨日発表になった子で36例目なのです。
この数を多いと思うか少ないと思うかも人それぞれと言ってしまえばそれまでですが…私は正直、あまりにも少なすぎると感じています。
私と同じような思いをする人は、本当は二度と出てきてほしくありません。
しかし、極めて厳しく残念で、悲しいことでもありますが実際には、小さな子どもがさまざまな事由で理不尽に亡くなるケースは、世界中で毎日のように起きています。
理不尽な死を避けられるようにする工夫や施策、対策は当然に必要なこと。それと同時に、現実に起こってしまった状況に立ち向かうための一つの手段が、担当した医師や医療機関の考え方や都合によって、それこそ理不尽に奪われることもあってはならない…そうならないための工夫や施策、対策も、同様に必要であると考えているのです。
そうした現状を改善するための取り組みを進めるべく、当事者として声を上げ続けていきます。
6月定例会終了後、翌日以降は大学や医療機関での講演の話などを頂戴していてスケジュールが詰まりまくりですし、有難いことに本日また新たに、別の大学からのオファーも頂戴いたしました。
医療の専門家の皆さまなどに対して私自身が話せることは、多くありません。
くーちゃんの父として、世界一可愛い、世界一優しい娘の父親として、伝えるべきことを伝えていきます。
本日はこんなところで。また明日!