未来拓く、みうらひらくです。
津山市議会議員、三浦ひらくです。
個人情報をはじめとした非常にセンシティブな内容を含むもので詳しくは当然書けないわけですが…いじめ案件対応に本日は多くの時間を費やしました。今までにも何件も津山市内のいじめ問題に携わってきましたが、今回のケースでもお話を聞かせていただいている当事者の方々の気持ちが痛いほどに感じられて、激しい憤りだけでなく…言葉では表現しづらいドス黒い感情すらも心に渦巻いているのが正直なところです。いじめ。
この出来ることなら多くの人が見たくもないだろうし、聞きたくもないワードは、残念ながらいつまで経ってもなくならならず…毎年のように信じられないような悲劇的な事件がどこかで公になり、命すら失われているケースがあるのが現実です。そして今までの人類の長い歴史の中で決してなくならなかったのと同様に、極めて残念ですがなくなることはないと考えています。
だからと言って、放置しておいて良いとは微塵も思っていません。
子どもの頃に毎年ポスターを描いていた記憶が鮮明に残っていて…人権週間(12月4日〜10日)を忘れることができません。啓発は大切なアプローチではあると考えていますが、どのような啓発をどれだけ行ったところで…いじめは決してゼロにはならない。とても情けなく悲しい話ではありますが、それが現実であることは否定できないのではないでしょうか。
いじめは子どもの世界だけでなく、大人の世界にも厳然と存在します。
いじりだの、コミュニケーションの一環だの、やっている側は何とでも言うことができますが…文部科学省によると、いじめの定義を簡単に言うと以下のようなものです。
受けた側の人が嫌な気持ちになったり、痛みを感じたりすることを「いじめ」と呼びます。
したがって、それを行った人が「いじめ」と考えていなくても「いじめ」になります。
(文部科学省公式サイト「 いじめ問題に対する取組 」より)
つまり…自分がされて嫌なことをしないのは当然だけど、相手がされて嫌なことも想像しなきゃダメだってこと。
子どもたちは地域の宝だとか自治体の未来だとか…本当にそう思って言ってますかソレと突っ込まざるを得ない表現を多用するクセに、政治家・議員…もっと言えば行政側や学校側も(他にも様々な問題があることは当然ではあるけども…)いじめのようなセンシティブなテーマに取り組む姿勢は多くの場合、非常に消極的であると感じます。
だからこそでしょうが…津山市内のみならず、近隣自治体や県外の自治体などからも、保護者あるいは児童・生徒自身などの当事者から相談を受けることが少なくはありません。
いじめは決して対岸の火事ではないのです。
想像力を働かせてください。
本日も、津山市の教育委員会の担当の方は「自分の子に同じようなことがあったら…」と呟き、言葉に詰まっておられました。
言葉にならないような理不尽に晒されている子どもたちが、津山市内にも沢山いるのです!
児童虐待などについても当ブログでは同じことを言い続けてきていますが…こうした問題はその性格上、表に出てきている件数よりも実態の数字ははるかに悪い…つまりより多くのいじめが存在すると推定されます。
もし…自分自身や大切な誰かが、いじめの被害者になるとしたら?
嬉しいと感じる人などいないはずです。当事者にならずとも…いや、当事者でないからこそできることがあるはずです。
被害を受けている当事者は、声を上げることすらできない場合がほとんどです。
もし、これを読んでくださっているあなたに余裕があれば…大切な誰かの様子に、改めて少しだけでも気を配ってあげてみてほしいのです。そして、もしかしたらあなただけが感じとることができるかもしれない小さな変化やSOSのサインに気づいてあげてほしいのです。
何気ない一言が誰かを傷つけて、いじめの引き金になることもあるのは確かです。
同様に、ちょっとした一言や気遣いで救われる人がいることも間違いありません。
誰もが、誰かのチカラになることができるのです。上に示した表の中では…いじめの件数も、長期欠席・不登校の件数も、暴力行為の件数も、単なるデータに感じられるかもしれません。
しかし現実に、件数と同じ数の子どもたちと…それ以上の数の家族が苦しんでいるのです。
データの向こう側にある人々の暮らし…悩みや苦しみ、悲しみを想像・共有することができなくては、本気で当事者意識を持って政治に取り組むことなどできないと考えています。
本日はこんなところで。また明日!