くーちゃんのもう一つの誕生日!お花いっぱいの賑やかな我が家で、同級生たちと共に偲んだ世界一優しい娘。

未来拓く、みうらひらくです。
津山市議会議員、三浦ひらくです。

突然ですが…今、私は毎日がかけがえのない特別な日だよなと思いながら過ごしています。自堕落で享楽的な日々をただ漫然と過ごしているような時期も長かった私がそんな風に変化したことを、周囲の人たちは様々に評価してくれます。中には良いようには受け取っていない方もいるような気もしますが…まぁ、それはそれ。

価値観は人それぞれだからね!

それでも、そんな私自身にとって…そして妻をはじめとした家族にとっても、やっぱり本日2月8日は大きな意味を持つ一日でした。人それぞれだよねってことを、自分以上によく口にしていたし…きっとよくわかっていた、本当に自慢の娘です。そんな最高の娘が、自分自身よりも先にこの世界からいなくなってしまった日を、忘れられるはずがありません。

愛娘・愛來(あいく・愛称くーちゃん)の命日でした。

当然ながら妻と自分にとっては一年の中でも最も大切にしている日の一つ。仕事を調整し、日中はなるべくパソコンやスマホ、携帯電話にあまり触れないように意識して過ごしました。世界一可愛くて世界一優しい自慢の娘に会いに…元気に成長した彼女の友達たちが、今日は揃って来てくれました。顔はマスクさせていただいていますが…アイキャッチ画像で紹介させていただいている通り。くーちゃんが大好きなお花もいっぱいで、皆も良い顔で写ってくれていて…本当に有難い時間でした。靴が並んだ玄関が良い感じだったのでついつい撮ってしまいましたが…ウチのアパートは文字通り所狭しで申し訳なかったです。

懐かしい面々の大きく成長した姿には驚くというよりも感動しました。うっかり感極まって泣いちゃいそうになりましたけど…ママさんたちの手前我慢。子どもたちはもう、しっかり敬語まで使ってくるものだから、くーちゃんパパも思わず敬語で対応したりして…以前よりちょっと改まった接し方になってしまった気はするけど、久しぶりにとても賑やかだった空間を、きっと娘も微笑ましく見てくれていたのではないかな…。

くーちゃんが亡くなって、5年経ちました。

毎年このことに触れるたびに書きますが、長いような短いような…時間的な感覚は本当によくわからないのです。彼女のことを思うとき…その意識が時間軸とはまた全く違うところにあるような印象を覚えるのは、くーちゃんの存在を今でも、いつだって身近に感じているからかもしれません。今月も中旬には、奈良県立医科大学でくーちゃんの臓器提供に関しての話をする機会をいただいているのですが…こうしたお話を頂戴した際に私はいつも、娘は太陽のような子だったと言わせていただいています。

5年前、今日のようにこの部屋にまた賑やかな時間が訪れるような景色は想像もしていなかったし、できる状態ではありませんでした。妻と二人で…もう二度とのぼらない太陽が沈んでしまった部屋の中で、どうやって時間を過ごしていたのか…記憶力には自信がある私ですが、実はあまり覚えていないのが正直なところです。もしかしたら思い出したくないだけかもしれませんが…いずれにしても、そうした極めて苦しい状況から私たちが前を向けるようになったのは、周囲の皆さまのお力添えと、他ならぬくーちゃん自身のおかげでした。

今年も多くの皆さまから、お花などの温かいお心づかいを頂戴しました。遠方から毎年忘れずに送ってきてくださる方もおられます。妻や私がいなくなったとしても、くーちゃんのことを忘れずにいてくれる人たちがこの世界にいてくれるという事実が、どれだけ私たちの心を慰め、そしてどれだけ強くしたことでしょう。

くーちゃんは今でも間違いなく、私にとって唯一無二の光です。

たまたま先日、車の中でこの曲を久しぶりに聴く機会があって…くーちゃんが米津玄師さんのパプリカをよく歌っていたこともあって、少し涙が出ました。

今でも…もしも彼女の命が救われる術があるのなら、私は何でもすることは間違いありません。娘を失う前も、失った後も…議員として頑張って活動させていただいているつもりですが、かつて彼女が倒れたとき同様に、申し訳ありませんが彼女のことを最優先させていただく意思は今でも変わりません。

議員でいさせていただく前に、父であり、人間なのです。

私を人間としてこの世界に誕生させてくれたのは両親です。両親や祖父母がいなければ、誰も自分自身がこの世界に存在することすらなかったわけです。もちろん、私もそうであるわけですから…両親やご先祖さまを思う気持ちは人並みに持っているつもりですし、持っていなくてはならないとも思います。そこはもう人としての話です。

それと同様に、私を父親にしてくれたのは、くーちゃんなのです。

もちろん妻の頑張りがあってこそで感謝を忘れるつもりはありません。ただ、人間として大きく成長させてくれたのは、間違いなく娘です。

そしてだからこそ、公人として発信し続けている当ブログ記事でも、くーちゃんのことを書き続けています。

こんなことは誰にも経験してほしくないからです。

ただ現実には、同じような苦しみに向き合わざるを得なくなった人たちがいるのです。とても残念だけれど、医療をはじめとした科学がどれだけ進歩しようとも、大切な人との別れをゼロにすることはできません。日本中から届き続ける悲痛な叫びから…私はそれを知っています。そしてもしかしたら明日にでも、あなた自身の周囲でも同じようなことが起こるかもしれないことは誰も否定できないのです。自分ごととして考えていただきたい、備えていただきたい、大人にはどうか正しい知識を持っておいていただきたいと、心から切実に願います。

皆さまにもどうか、毎日を大切に生きていただきたいです。

当たり前のように思えている幸せが、実はとても簡単に、予期せぬ形で壊れてしまいかねないものであるからこそ…私たちの日常は本当はとても恵まれていることであり、我々一人ひとりが信じられないような確率のもとで生まれ、育ってきているのだという現実をそれぞれが尊重し、リスペクトし合いながら生きていけたら、良いなと思っています。

くーちゃんがこの世界からいなくなってしまった2月8日。いなくなってしまった事実は変わらないけれど…今日この日に、くーちゃんの心臓が誰かの中で動き始めたのです。心臓だけではありません。彼女は5歳にして5人を救ったのです。

今日は、くーちゃんの2つ目の誕生日でもあります。

臓器摘出手術が終わって、世界一頑張ったくーちゃんを家族で迎えたとき…娘と共に頑張ってくださった医療者の皆さまを代表して、ある先生が言ってくださった忘れられない表現です。こうした考え方があっても良いと思っています。

くーちゃんならどうしたかなとか、くーちゃんがどう思うかなという想像を、私は今でもしばしば働かせます。世界一可愛くて、世界一優しい娘がこの世界でもっと取り組みたかったであろうこと、パパがその代わりを務められるとは思っていませんがそれでも、世界を少しでも優しくしていくために努めることが、自分自身に課せられた使命だとは勝手に考えているのです。

我が娘に思いを寄せてくださっている皆さま、いつも有難うございます!

くーちゃん、いつもありがとう!

4月生まれの彼女のもう一つの誕生日である今日に関しては、臓器提供を抜きには語れません。見ていただきたいと思う動画を二つほど貼り付けておきますので未見の方はくーちゃんの誕生日プレゼントだと思って(?)是非チェックしていただき、ご自身で考えるキッカケにしていただけたら幸甚です。

本日はこんなところで。また明日!

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三浦 ひらく

三浦 ひらく -PROFILE-

世界を暮らしやすく楽しく変えるため、相棒ひらくマと一歩ずつでも現状改善していくために日夜ハゲむ、1978年生まれの岡山県津山市議会議員。選択肢の多い社会を目指し、政治も手段の一つと捉え、地域振興、多様性理解促進、生きづらさ解消、表現の自由を守るための活動、インフルエンザ脳症撲滅、臓器移植意思表示推奨などをライフワークとして活動している。

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