未来拓く、みうらひらくです。
マイノリティーと一口に言っても、その程度は様々。
大きく分けたら2種類あるってことを、以前のエントリーで書きました。
要するに…当人がいかに努力しようとも、解決しようもない理由により、マイノリティーに”なってしまった”ケースと、みずから進んでマイノリティーに”なることを選んだ”ケース。
当ブログではその二つをそれぞれ、運命的マイノリティーと自発的マイノリティーと呼んでいます。
身体的、精神的な障がいに関しては、主に運命的マイノリティーであると言えるでしょう。
しかし色覚異常に関しては、いわゆる色弱程度の状態であれば…ある程度訓練や経験でカバーできます。
それは当事者である私が身をもって体験してきたこと。
そうした点が、色覚異常者が障がい者認定を受けられない理由なのかな??
でも明らかに、完全な色盲状態の人は日常生活に差し支えが大いにあると思います。
感情的かつ感覚的な意見ですけど、納得は行きません。
多分、色んな意味で…放っておかれた分野なんだろうなぁ。
あ、色だけに…とかって意味じゃないよ、普通にマジでな。
結構重要なところだと思うんですけどね、色がわかるかわからないかって。
私の場合は努力の成果があってか…今や色の濃淡を見分ける目はむしろ正常な色覚の人たちよりも正確(?)で、デザインなどをする際にも助けとなっています。
ただ、色覚異常が原因となり…死亡事故すら起きているのもまた現実。
車の運転をされる方は、想像してみてください。
青・黄・赤…信号機の三色が見分けられなくなったらどうする??
並び順で覚える??
世の中には単色の点滅信号機だってあるわけです。
日本では男性の20人に1人が先天色覚異常だと言われています。
女性の場合はグッと減って500人に1人。
いずれにせよ、障がい者認定するには多過ぎるんだろうけど…そんな認定はどーでも良いから、しっかり対策してくれよって話。
いや、どーでも良くはないけどね。
一昨日のエントリーの最後に書こうかなと思ったけど、長くなり過ぎるから止めた件があって。
当事者が声を上げることの大切さについてです。
当事者でない人間が、いかに当事者の気持ちを慮ったとしても…100%理解することは決してできません。
キレイゴトでは解決できない問題は、世に掃いて捨てるほどあります。
大きな力を得るためには、より多くの人の理解と協力が必要です。
そのため実際は、当事者だけで問題解決できないのもまた事実。
当事者の声なきところに説得力は生まれませんし、訴求力にも欠けるのです。
つまり、本当に現状に不満があるのであれば…当時者が声を上げないと始まらないってこと。
その声を大きくする役目を担う者や、代弁者が当事者である必要はないけど…みずからが動かない限りは、何も始まらないし、悪夢が終わることもないのです!!
問題を感知した際に…自分が当事者であるか、そうでないか。
それを正確に判断できれば、おのずから行動指針が定まってくるのではないでしょうか。
説教くさいエントリーになったけど…仕方ない。
本日はこんなところで。
また明日!!