未来拓く、みうらひらくです。
昨日、政務活動費の不正支出を例に、政治家の資質について書きました。
富山市議会の状況を見て…あ、俺の政務活動費や政治資金の使い方がヤバいかもと思っている現職政治家の皆さん、さっさと適切な対応をしてくださいYO!!
その支出が適切なもの、政治的価値があるものであるか否かを論じるってのならともかく…それ以前の段階、領収書の改ざん云々なんて問題が次から次へと噴出してくる現状。
何という低レベルな世界。
こんな人間ばかりの政治の世界を信用しろって方が無理筋だと言えるでしょう。
いや、こんな人間ばかりではない…それは事実。
けれども、一部のとんでもなく低レベルな”アホ”のせいで…集団の価値が貶められることは珍しくありません。
政治家と並び、しばしば槍玉に挙げられる公務員などでも同じこと。
当たり前だが、公務員全員がダメなわけではない。
考えてもみなさいよ。
仮にそうだったら…この国終わってるだろ。
むしろ優秀な人が多いのは当然のこと。
ただ…組織そのものが腐っていることはあると思うけどなッ!!
裏を返せば世間一般的には、ごく一部の不届き者たちの所業が業界全体に影響を及ぼしかねないほど…そうした業界はクリーンであることが求められているということ。
それは税金由来の報酬を受け取っているゆえでしょう。
同時に、非常に大きな影響力がある業界であるからだとも言える。
まぁ、そうじゃなければ税金由来の報酬を受けることになるはずもないのですが…。
政界にしても、教育界にしても、地方行政にしても、そう。
もちろん警察だって、同じことです。
2015年に懲戒処分を受けた全国の警察官ら警察職員293人のうち、99人について、窃盗や強制わいせつなど法令違反の疑いがあるにもかかわらず、警察側が処分時に報道発表していなかったことが2日、毎日新聞の情報公開請求と全国の警察への取材で分かった。各地の警察は警察庁の指針を基に、「報道発表の必要はないと判断した」と説明。専門家は「警察の不祥事はより透明性が求められ、公表すべきだった」と指摘している。
警察のように絶大な権力を持つ組織に、自浄作用を期待するのはナンセンス!!
まるでドラマじゃないかって話だが。
自分ルールで自身を律するのには、間違いなく限界があります。
聖者になんてなれないよってこと。
先日、情報発信の継続が大切な理由について書きました。
その際の切り口は…当事者が声をあげなければ最初の一歩が踏み出せず、何も始まらないというもの。
問題解決のスタートして、そこに問題があるということをまず知ってもらうことが肝要、それゆえ情報を発信し続けることには意義があるのだという趣旨でした。
”情報発信”と”情報公開”は違うと言えば、違うんでしょう。
ちょっとネットで調べるだけでも…”情報開示”なども絡めて、言葉遊びの延長戦のような見解がアレコレ出てきます。
しかしぶっちゃけ、その使い分けや感じ方も主観によるところが大きいし…言葉の意味や重みは変化していくものです。
問題はもっと本質的なところにある。
都合が悪いことを隠すなってこと。
それだけ。
都合が悪いことを隠したいのは人情でしょう。
俺だってそうだからね。
じゃ、なぜ隠したいのか…??
それは自分自身が損したくないから。
これに尽きるだろ。
ごもっともな言い訳を探してな。
国家のため、社会のため、会社のため、家族のため…。
周りを巻き込むなって!!
それ全部…”自分のため”の言い換えだろ??
本心は”俺のため”以外にねーだろ。
だって全部自分の欲求…つまり主観によるものじゃんか。
でも、結果的にそれ…損しちゃうよ??
今はバレちゃう時代です。
嘘ついても無理だって。
みっともないことになるだけ。
最初から繕わなければ良いのに。
カッコつけたい気持ちは超わかる。
だって俺もそうだからなッ!!
でも、それが危険であることは自分自身が一番理解できるはずだろ??
だからこそ、自分以外の誰か…第三者の目で見ていてもらうこと、道を踏み外しそうになったら注意してくれる誰かがいること、自分の考えを発展させてくれる仲間がいることなどが超重要になる。
多かれ少なかれ、人間誰だってこういう部分を持っていると思うのです。
情報発信でも、情報公開でも、情報開示でも…呼び方は何でも良いんだけどさ。
とにかく、都合悪い情報を隠すのをやめろってこと!!
ある程度透明性が求められるのは、一般企業等でも同じこと。
企業価値を落とすような情報を出したくないのは当然だが…隠していたのがバレると、結果として必要以上に酷いことになるのも事実。
政治家の話で言えば、直近だと前東京都知事のケースは…まさしくコレでしたよね。
認めるべきは認め、謝るべきは謝る。
そんなの当たり前だろ。
やっぱコレだね。
小学生からやり直せ!!
それでは本日はこんなところで。
また明日!!