未来拓く、みうらひらくです。
自由人、みうらひらくです。
最近はなかなか忙しい日が続いているが、その中でも昨日は西へ東へ飛び回る1日だった。
時には、前提を疑ってみることも必要だ。
やると決めたからにはやらねばならない…という理屈はわかるし、その覚悟が大切な時もある。だが、その仕事は”本当に必要なミッション”なのだろうかと、時にはもう一回考えた方が良い。
一度しっかりと考えて決めていたことでも、時間と共に状況は変化する。目的達成のために期待した効果が得られないのであれば、手段そのものを疑ってみて精査し、時には変更・中止するという選択もあって当然の話だ。
昨日のエントリーに、俺はまだまだプレイヤーでいたいと書いたばかりだ。
しかし40歳にもなれば、試合を監督という立場で観なければならないケースも出てくる。
監督は性格的に向いていないなぁ〜などと言いながらも、憧れの職業の一つは映画監督だと言っているのが私である。以前書いたことあるよなぁと思って、検索かけたら発見。
昨年の夏に書いたこのエントリーは自分の中で結構好きな回。鏡野町のパンフレットの話がメインになっていますが、自分のやりたいことが詰まった内容。是非チェックしてみてください。昨日、いくつかの金言を貰った中で…当たり前に理解していた積もりだけど、改めて「あぁそうか」と思ったことを一つ紹介しておこう。
俺が重要視するキーワードの一つに”自由”というものがある。
自由主義者だとかそーゆーカテゴライズはあまり好きではないが、自由が制限されることを俺は基本的に嫌う。子どもの頃からずっとそうだ。
だからこそ、自由に選べる幅が多いに越したことはない…という思いから、選択肢の増加は正義だと訴え続けている。場合によっては、選択肢を自分で作っちゃえば良いじゃんってことだ。
しかし、一口に自由と言っても…当然ながら何もかもが許される世界は危険だ。それに分かりにくくもある。例えば昨日は”分かりやすさ”と”参加しやすさ”について話をしていたのだが…”何もかも自由です、好きなように表現してください”という場合よりも、”この条件のもとで、この内容について自由に表現してください”という一定条件下での自由の方が、より参加障壁を下げる結果に繋がる…つまり実は求められているのではないかという話になった。
枠組みの中での自由な表現、その方が簡単。
もちろん枠組みを嫌って自分で用意するのも本当は自由。だが、そこまでしてくれる人ばかりではないってこと。
それを踏まえて、また新しい試みをやってみようと思いついたのですが…長くなってきたので次回案内します。
本日はこんなところで。また明日!