未来拓く、みうらひらくです。
誰かの願いが叶うころ…あの子が泣いているよ、みうらひらくです。
良いこともあれば、悪いこともある。面白い報道があれば、くだらない報道もある。もちろんそれは人それぞれの感じ方次第。誰かにとっての良いニュースが、別の誰かにとっては悪いニュースであることもある。
日々様々な出来事があり、その情報は今や猛烈なスピードで拡散、共有され…世界中へと広まっていく。ただし、その情報の重要度や優先順位は人間が決めること…つまりは主観によるものだ。マスメディアによって後回しにされた情報が出てきた頃には、そんな話もあったよねとなることもしばしば。取材はされたとしても…場合によっては”お蔵入り”なんてことも起こり得る。
過日の投稿で触れた件、ようやく放送されたそうです。見逃しちゃいましたけど。
コレ、俺が参加してたら多分優勝してたわ!
…などというタワゴトはさておき、今日は本当はこんな話をしたいわけではない。
涙なしに読めない。こんなニュースが多過ぎる。ひらくマの絵を差し込もうと思っても、悲しいのと腹立たしいのと…そのどちらもと、さらに別の感情が入り混じる。この感情を表す適切なカットがない。
俺の中で、最もこの感情に近い絵があるとしたら、それはゲルニカだ。

誰が得するの?こんな報道するべきじゃないんじゃないの?
そういう意見も耳にする。はっきり言って同感の部分もある…やりきれない思いになる悲しいニュースは、正直なところ…もう沢山である。
ただ、これは事実だ。
現実に発生している。保護責任者遺棄致死だとか、傷害罪だとか…どんな罪名で加害者を裁いたところで、命は返ってこない。
あとコレ、殺人でしょ本当に。

ひらくマのカットを使う気になれん。
素人の個人的見解だが…殺意があったと判断できるだろうマジで。子どもにこんな思いをさせて死に追いやるなんて…衝動的な殺人よりむしろ罪が重いと感じる人は決して少なくないだろう。
尊属殺人は違憲とされ、刑法から削除されているが…子どもに対する考え方は現状のままで良いのだろうか?
何年か前、子どもをみずからの手で川に落として死亡させた母親の話があった。記憶している人も多いだろう。
橋の上に立ち、抱きかかえた我が子を川の流れの中に今まさに落とそうというその刹那…まだ3歳の娘はニコッと笑い…「バイバイ。」と言ったそうだ。

今書いていても涙が出てくる話。
こんな話が、現実に起こっている。そしてその報道を見て、自分同様に悲しんだり怒りに震える人は多い。だが、いかに嘆こうとも、怒り狂おうとも、こうしたケースがなくなるわけではない。
極論を言えば…警察も司法も、起こった悲劇に相対するしかない。悲劇を無くす、減らす方法があるとすれば…それは政治の役割だろう。
だからこそ、自分は政治の道を志す。
こうした現実の根本にある問題を解決する最も大きな力になり得るのは、やはり政治だと信じるからである。
安らかに眠れるとはとても思えない。軽々な言葉は書く気にもならない。自分にできることは…決して許されるべきでない悲劇を、一つでも少なくしていくための努力。
本日はこんなところで。また明日!