未来拓く、みうらひらくです。
現実的理想主義者、みうらひらくです。
昨日のエントリーでは悲しく、何とも言えない気持ちになる話を取り上げた。直近の東京・目黒での事件だけではなく、2014年の件を書いたことで…「お前のブログを読んで泣くことになるとは…」などというコメントも届いた。
もちろん俺は、お涙頂戴ブログが書きたいわけではない。
子どもを育てることは大変なことだ。それは育てる側に回ることで、大いに実感する人も多いだろう。俺のようなスーパー問題児を育て上げてくれた両親、お世話になった先生方、周囲の大人たちには感謝しかない。次から次へと問題を引き起こすクソ生意気な、悪賢い子ども。その面倒を見続けなくてはならないストレスは想像を絶するものだったに違いない。
子どもは愛すべき存在。無条件に可愛いもの。
そう感じる人が大多数なのは事実だろう。俺自身も、小さな子どもは本当に無垢で可愛い存在だと思っている。だが…そう考えている人間であっても、何かのきっかけで魔が差すことはある。
精神状態によっては…悪いということを理解していてもついつい、子どもに対して不要に声を荒げたり、八つ当たりをしたり、時には手を上げてしまう人もいるだろう。それらは決して褒められることではない。
とゆーか、悪だ。
魔が差した者を擁護する積もりはないが、誰にでも起こり得るとを認めなくてはならない。
絶対にそんなことをしない、理解できないと言い張るのは自由。俺だってしない積もりだ。だが、人は感情に左右される生き物。大切な存在であっても…いやむしろ大切であるからこそ、自分の思いに反する言動があった際に、その反動が大きくなる可能性は否定できないのではないだろうか。
子どもは弱い。昨日取り上げた2件の悲しい事例の被害者2人は、とても自分1人では生活できない年齢だった。子どもなど…いかに愛する人間のためであっても、自分の時間を”犠牲にして(あえてこう表現する)”、1人では生活できない人間の世話をし続けるのは、非常に大変なことなのだ。そろそろ何が言いたいのか、お察しくださった方々もいるだろう。これは子どもに対してだけの話ではない。
老人の介護も同様だ。
改めて言うまでもなく、我々は全人類が未だ経験したことのない超少子高齢化・人口減少社会を生きている。子どもたちの人権、命を守るべきは当然の話だが…同じように考える必要に迫られているのが、介護問題である。
老老介護や認認介護などという言葉を聞いたことがある人も多いだろう。
子どもの虐待問題などと同じく…介護問題についても、残念ながら胸が痛くなるような事件が非常に多く起こっている。
これらの諸問題についての、政治の影響力は大変に大きい。…と言うよりも、政治のみが大きな流れや枠組みを変更する力を持つと言って良いだろう。政治が対応することなくして、こうした大問題が解決することはあり得ないのだ。
どんな制度を設けたところで解決することはないなどと諦観する人もいるようだが…あきらめたら、そこで全てが終了ですYO!
やりきれない事例は1件でも減らそうぜ、まずはマジで。
2週間に1度起こっている「介護殺人」 真面目で普通の人たちが…
そう、これは殺人だ。
1件2件とか事例とか…こうした表現には抵抗がある。命が失われているという事態を軽く感じさせるような印象があるからだ。
当事者の方々が、昨日のエントリーを受けて何件か声を届けてくださった。恥ずかしながらハッキリ言って、今の俺に解決する力はない。それにもかかわらず、そこへ期待の声を届けてくれた方々もいた。本当に超有難いことだ。結果を出すべく精進し続けます。
こういう大きな問題に立ち向かうには、賛同者や協力者は多い方が良い。
ぜひ、お気軽にご連絡ください。メールでのご連絡はこちらからどうぞ。
誰もが子どもだったし、年を取るんだからね!
本日はこんなところで。また明日!