疑うことは良いことか?性善説根強い情報氾濫社会で賢く生きる。

未来拓く、みうらひらくです。
性善説を信じたい気持ちはあれど…悪い奴見まくっているからね、みうらひらくです。

だからこそ?

当たり前に思われていることを疑ってみることがあっても良い。いやむしろ、疑うことは良いことだとすら考えているのも事実だ。

大学では哲学科という、変わり者しかチョイスしないんじゃないかという進路を選択した。当時人気の高かった心理学科にも惹かれたけどね。

それでも何しろ俺は哲学以外の選択肢は考えていなかった。変わり者が集っていた中でも一際変わっていた自信さえある。それゆえに(?)中退したことはスルーしてやっていただきたい。

哲学をかじった人間ぽく言えば、懐疑主義であろうか。

正直に話そう。

人生において、こっぴどく裏切られた経験がある。

しかも何度かね。

そういう経験がある人は少なくないだろう。大概は後になってわかることだが…人が裏切りの憂き目に遭う理由は様々である。もちろんそこには第三者から見ると一方的に裏切られた側が悪いと思えないような種類のものが含まれることもあるが、例えば不可抗力に近いものであっても結果が同じ以上、それは誰かにとって裏切りと呼べるものであることに変わりはない。

また、裏切った側は個人であったり団体であったり、あるいはそうした意識の集合体ですらなく…人格なき何かであるかもしれない。全てはケースバイケースだ。

だからというわけではないが、人を信用しない。これは俺自身の大きな欠点であると同時に、しばしば助けられている点でもあると思っている。

諸刃の剣だ。

かつて若い頃にプチ成功を手にした俺は、調子こいて事業拡大を目論んだことがあった。

だが持ち前の人間不信により…多くを他人に任せることができず、今思うと非常に勿体無いことをしたと反省しているケースがある。もっと他人に任せることが出来ていれば、結果として様々な意味で大きな利益を得られたであろう機会を無駄にした経験。

しかし、それはそれで貴重な財産になっていると思っているのだ。

今でも俺は人を信用しない。

軽々には信用しないが、クソ生意気な(これは”40歳”になった今でも言われることがある)俺の周囲には何人も信用できる人がいる。

今では信用できる人がいてくれる。

これは何物にも変えがたい財産であることは間違いない。

冗談抜きで、メッチャ助かるぜ…いないと人生が成り立たないような人たちがいてくれることを本当に有難く思う。

そんな俺が本日疑問に感じるのは、完成された既成概念…スーツ姿である。

本日は営業で外に出るためスーツでの出勤を余儀なくされているわけだが…別に営業だからってスーツ姿じゃなくても良くない?

単純に超暑そうでイヤってのが8割方だが…スーツを着る意味が相手に不快感を与えないためであるなら、不快感を与えない範囲(まぁこれも極めて主観的なものであるが)内にも、より目的達成に近づける選択肢があると思わないか?

営業なんてインパクト勝負でしょ?

いらっしゃいませやで!怪しい関西ノリの男が成果を上げられる理由。

2018.06.19

確か特に、被りもの禁止だとは言わていなかったよな…うん、きっと大丈夫。

本日はこんなところで。また明日!

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