未来拓く、みうらひらくです。
生まれてこのかた…想像力たくましいと言われ続けてきております、みうらひらくです。
想像力は創造力。
たとえそれが最初のうちは皆の目に妄想や空想に映ろうとも…実現してしまえば勝ちである。
…と言うよりも、実現するしかないのだ。頭の中にあっても意味はないし、アウトプットそのものには、それ自体目的でない限り価値などない。アウトプットすることが目的達成の助けとなるからこそ、ブログ更新も継続しているのである。
さて。
偉そうなタイトルを付けたが…一人の有権者であり、また政治の世界に挑もうと努めている者として、今回も(毎日書いていると…意外かもしれないけど、そーゆー回も少なくない)自戒を込めて書いている。
当ブログに限った話ではない。
ありとあらゆる情報には発信者の主観が含まれる。
たとえば自分もしばしば言われることの一つなので、それこそ偉そうに言えた話ではないのだが…人間誰でも”そんなこと言わなくても良いのに”と思えるような内容をわざわざ発信してしまう場合がある。
別にこれはバカッターと呼ばれるTwitterに代表されるようなオンラインの話だけではない。面と向かってや電話など、リアルの日常生活の中でも有り得ることだ。
多くの場合それは、発信者が何らかの理由で感情的になった結果だったり、あるいは単に目先の反応だけを思うあまりの浅薄で配慮の足りなかったがゆえの行為かもしれない。
だが”わざと”ということも有り得る。
つまり狙っていたという場合だ。
炎上商法などという表現があるように、わざと相手を怒らせることでその先の目的達成に繋げるという手法だ。先日も高校生が教師を焚きつけ殴らせ、懲戒処分を狙ったのではないか的な事件が起きた報道が出たことを記憶しておられる人もいるだろう。
実は高校生の頃を振り返ると生活指導の先生をわざと怒らせ、エキサイトしたことで論理破綻した主張の矛盾点に突っ込んでさらにキレさせるという超イヤなガキンチョだったので…何も言えねぇ。
ともかくも怒る自由はあっても、殴る自由はない。
キレたら負けって部分もあるかもしれませんね…この社会には。情報の先に何があるのか…あるいは自分の言動の先をイメージすることは非常に大切です。
そう言えば昨日のブログエントリーへの反応で、ちょっと面白いと感じたものがあった。
通夜の場でPCなんて非常識だ!
えと…通夜の席でPCを開く(何で広げるって書いたのか自分でも不明、眠かったのだろう)って、絵を描くのも面倒だからイメージしてほしいけど…通夜で坊さんがお経あげてる現場でPC開いてカチャカチャやってたと思うのだろうか。
俺、それは殴るかもね。
殴るのはマズいけど…そりゃそうでしょ?
そんなことするわけないじゃん、いかな俺でも。
通夜の儀が終わった後の現場での話。
泊まり込みで線香絶やさないように番とかするんだけど、その場の話です。その場でも開くべきじゃないって連中にはお前はスマホをいじるなよと言っておこう。
ま、こんなどーでも良い話がしたいわけじゃない。
判断は個人の自由であると思っている。PCはもちろん、通夜の儀を終えた場であってもスマホも慎むべきだという声もあるだろう。
しかし、当事者じゃない人はあんま関係なくない?
関係ない人にも首を突っ込む権利はある…文句付けたいなら付けるのは自由なのだ。
でも、当事者たちが納得していて…それで他の誰の自由を侵害しているわけでもないのであれば…尊重してあげたら良いんじゃないかな、と思うのであります。
だってイメージしてみて!
自分も尊重されたいでしょ?
関係ない奴にグダグダ言われたくないはず。
政治も同じなのです。イメージすることが大切。昨日のエントリーを読んでくださった津山市民の方から「津山市の予算って800億円もあったんだ!」という声もいただきました。
しかしコレ、津山市のホームページや広報誌で発表されている話。そんなの皆見ていないのです。
情報は繰り返し出す必要がある…ってなわけでコレも!
政治に携わる人、それは全ての人です。
選挙に参加しないとどうなるのか、政治に興味を持たないとどうなるのか。
有権者は想像力を働かせて、イメージすることが大事。政治家には、有権者が想像することの助けとなるような材料を示すことが求められます。
そうした材料(日々の活動や政治の現場で何をしているか等の情報)を出さないような政治家は、それだけでも批判されるべきではないでしょうか。
出さない自由…あるでしょうね。
全てを出せとは言う気はないが、全く出さないのはどうなの?政治家さん、それでもアナタは真剣に…誠実に…有権者の皆さんと向き合っていると言えますか?
良い機会だから言っておくと、有権者って言葉もイマイチ好きじゃない…子どもが含まれていないからね。
子どものことを散々選挙のネタにはするクセに。
ま、本日はこんなところで。また明日!