善意の押し付けは圧倒的大迷惑!だからこそ目的の明確化が大事。

未来拓く、みうらひらくです。
津山市議会議員、三浦ひらくです。

今日はとても悲しい話がいくつも重なりました。自分自身の力の足りなさを感じることもあれば、何とも言い表せない痛みを覚えることもありました。

生きていれば良い日もあれば悪い日もある…なんて表現も見聞きしますが実のところ、言葉にあまり意味はないものです。

言葉に大きな力が宿ることは否定しませんし…私も積極的に使っていますが、言葉で慰めることや昇華することよりも、本当に私がすべきは原因となった問題そのものを改善したり、場合によっては排除することだと思っています。

良いことがあった日は良い日だったなと思えるはずです。誰が何と言おうと良い日は良い日…それで良いじゃありませんか。逆に、悪いことがあった日は悪い1日になります。誰に何を言われようとも…悪い日は悪いのです。

便りがないのは良い便りという言葉があります。連絡がないことはむしろ何事もなく元気だという証だという趣旨のことわざですが…そうとばかりも言えません。

ただ世界には様々な事情があります。いつも書いているように感じ方は人それぞれです。たとえば善意に由来する行為であっても…それが受け手にとって大きな負担になることもあります。

世界はあなたのために。そして大切な誰かを守るため共に歌おう。

2020-10-17

私自身が、少なくとも私にとってはこれ以上ないほどの悲しい出来事を経たからこそ言えることですが…これが真理だとは微塵も思っていません。

繰り返しますが人それぞれです。

相手が何を求めているのか…それは相当に相手のことを知っているつもりでも、決して100%はわからないことです。

だからこそ見せかけだけの優しさ、本気でないお節介は不要で無用でむしろ迷惑でしかなく…本当に本気で誰かのことを思うのであれば、決して軽率に判断することなく、真に意味がある言動を心がけるべきではないかと私は強く思うのです。

目的が何であるかを、どんな時でも見失ってはなりません。

私が政治を志したのは東日本大震災がきっかけでした。当時例えば仲間内でトラックに乗って被災地へボランティアに出かけたり救援物資を届けよう…という衝動的奉仕精神に突き動かされた人々が、周囲にも掃いて捨てるほどいました。

それを全て否定する気はありません。

しかしその善意の押し付けが時として意図とは全く逆の結果を招くこともあるという事実をくれぐれも承知してもらった上で、その上で目的を考えてもらいたい。

それ誰のため、何のためなの?

正直に自分自身と対話した際にその善意が万一…自分自身のためなのであれば止めるべきだし、むしろ恥じ入るべきですらないかというのが私の考え方です。

俺も気を付けるよ。

君は大丈夫?

本日はこんなところで。また明日!

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三浦 ひらく

三浦 ひらく -PROFILE-

世界を暮らしやすく楽しく変えるため、相棒ひらくマと一歩ずつでも現状改善していくために日夜ハゲむ、1978年生まれの岡山県津山市議会議員。選択肢の多い社会を目指し、政治も手段の一つと捉え、地域振興、多様性理解促進、生きづらさ解消、表現の自由を守るための活動、インフルエンザ脳症撲滅、臓器移植意思表示推奨などをライフワークとして活動している。

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