未来拓く、みうらひらくです。
津山市議会議員、三浦ひらくです。
ああ、今日書きたいことは標題に全て書いてしまった!
もう今日はこれ以上は書かなくても良いかな…。
津山市議会議員にならせていただいてから、何度も何度も言われてきたことがあります。いや…ならせていただく前から実は結構な頻度で言われていたことだけど、議員にならせていただいた後の方が圧倒的に多いだろうな。
それは”綺麗事”って表現です。
このキレイゴトって言葉が、私はあまり好きではありません。辞書を引くと下記のような意味ですが、この1の意味を、私からしたら拡大解釈し過ぎていると言うか…都合良く使い過ぎているのが、政治の現場のリアルだと感じています。
きれい‐ごと【×綺麗事】
1 実情にそぐわない、体裁ばかりを整えた事柄。
2 手際よく美しく仕上げること。
それはすなわち議会のリアルです。
津山市議会に限った話ではないことは、全国の議員仲間からもしばしば聞き及んでいますし、政治や議会の現場だけでなく…どこの社会でも実際にはある程度起こり得る、起こっている現実で、その現実を組み込んだ上で社会が回っていることも無論理解していますが…それでも。
それ、ダメでしょ!
理不尽を許していては…間違いを認識しつつ看過していては、現状は変わらないのです。実情にそぐわないからと言って、実情を変えることを諦めたら、いつまで経っても良くなることなどないのです。それどころか、少子高齢化・人口減少社会の中では現状維持など妄想同然で、より良くしようと努めない限り、相対的に見て将来が現状より悪くなっていくことは明白です。
しかも政治に携わる人間は、税金ベースで動いています。
そして行政や議会はルールをつくる側…社会を変えることができる、必要に応じて変えねばならない立場です。もちろん、例えばどう考えても非現実的な荒唐無稽な思いつきなどは批難されても然るべきでしょうが…本来やるべきこと、やらねばならないことがあるにもかかわらず、大きな困難が伴うからと言って、痛みを伴うからと言ってやらないのであれば、そんな人たちは公益に携わる仕事に就くべきではないと、私は思います。
議会において誰の賛同も得られず一人だけであったとしても、正論を述べる姿勢を失うことがないように、それが自分が議場に立たせていただいている意義であることを忘れずに、取り組んでいきます。
本日はこんなところで。また明日!