未来拓く、みうらひらくです。
津山市議会議員、三浦ひらくです。
本日は四十九日の法要があり、岡山市を訪れました。ところで、しばしば何となくのイメージで(?)無礼者と思われたり、言われることもありがちな私ですが…意外と、会ってみるとそうでもないなとか、深く知ってみるとそうでもないねと言われることが多いです。
ちなみに、少し前にも書いたように…人の生き死にはとても重要なことです。人それぞれに様々な事情があることはもちろん当然ですが、古来重要とされてきた冠婚葬祭の中でも、私は葬儀がある意味では最も重要と言えるのではないかと考えていることから、縁あった方との別れの場にはできる限り参列させていただくようにしています。例えば以前、かなり無理をして東京に向かったことがあるのもそうした考え方からです。四十九日は葬ではなく祭の面も持っていると思いますが、これをもって葬を締めくくるという節目となる行事だとも言えるでしょう。

昨日のエントリーにも関係することだけど、標題の通りです。
受けた恩を忘れるような、そんな人間にはなりたくないものです。
議員をさせていただいている中でも、自分自身の姿勢として大切に考えていることの一つですが…とんでもなく恩知らずな話だなと感じる場面は今までにも第三者的な立場でも何度も見てきましたし、私自身の言動を恩着せがましく言うつもりはないけれど、それでも正直、いやいやいや…そんな仕打ちありますかねぇと感じるようなことが多々あったのも事実です。
私自身のことに関して言えば判断の最終責任は自分自身にありますので…(まぁ仕方ないや、そういう相手だったというだけのことだわ!)で済みますが…覆水盆に返らず、です。
失われた信用、信頼が元に戻ることはありません。

誰も一人では議員や首長になることができないという話を、私はしばしば当ブログ以外でもさせていただいていますが…同じように事実として、人は誰一人として、一人では生まれてくることも、成長することもできないわけです。
要するに、誰も一人では生きていけないのです。
自分は独りぼっちだと孤独を感じることがあっても良いと思います。そりゃもちろん、そんな時はない方が良いけどね!
ただ、自分は一人で生きているなんて考えるのは完全なる間違いだし、たとえ近くにはいなくても、誰もが誰かに気に掛けてもらえているはずなのです。少なくとも、確実に、この記事を読んでくださっている方々の周囲には、そういう自分自身のことを気に掛けてくれた人たちが少なからずいたからこそ、今、生きていられるわけです。
そういう人たちに、胸を張って生きたいじゃないですか!
恩義を感じるべき方々に対して、恩知らずな生き方はしたくないもの。皆がそういう姿勢をしっかりと持って生きていけたなら、世界は少しは優しくなると思うし、社会が少しは良くなると確信しているのです。

皆さまはどう思われますか?
アイキャッチ画像は埋葬が済んだ後の墓所からの眺望をパチリと撮影したもの。静かな良い場所でRIP、元はラテン語ですが、英語ではrest in peaceという表現でお馴染みのフレーズが頭に浮かびました。故人に恥ずかしくない生き方をしていきたいです。
それでは本日はこんなところで。また明日!