未来拓く、みうらひらくです。
皆さまのお力添えにより、少しづつブログの内容について反応をいただけるようになってきております。
大変有難いことです…感謝申し上げます!!
一昨日は『サービス』について少し書かせていただきました。
『サービス』のあるべき姿から考えるまちづくりの理想形。感動を生み出すヒントはあなたの体験の中にある!!
これについても最前線で仕事をしていらっしゃる方々を含め、ご意見をお寄せいただきました。私自身いわゆる”サービス業”に従事していた期間は短くないもので、記事内に書ききれていない部分でも思うところは多々あります。
そうした問題点の一つにサービスは無償であるべきという圧力があります。サービス業に携わっている人で、これを感じたことがある人は多いと思う。
いや、無償のものをサービスと呼ぶって考え方に立脚して、有償のものはサービスではなく別の呼び名とするというなら別にそれでもいいのです。
辞書を引いてみましょう。
コトバンク
デジタル大辞泉より
サービス‐ぎょう〔‐ゲフ〕【サービス業】
1 日本標準産業分類による大分類の一。廃棄物処理業、自動車などの機械修理業、労働者派遣業、政治・経済や宗教などの各種団体が含まれる。
2 物品ではなくサービスを提供する業務。→サービス4
[補説]日本標準産業分類の大分類では、1のほかに「宿泊業、飲食サービス業」「学術研究、専門・技術サービス業」(学術機関や広告業など)「生活関連サービス業、娯楽業」(洗濯・理容・浴場など)「複合サービス事業」(郵便局など)がある。
うん、政治もサービス業なんだね。
じゃあ仕方ない、政治についても書かざるを得ないYO!!
ってか、私が声を大にして言いたいのは、タダはいかんよってこと。
タダはいけません。
綺麗事ばっかり並べやがってと選挙の際には言われまくった私ですが、これは昔から終始一貫している主張です。働く、仕事をするということは、つまるところ報酬を得ることです。私は昔から報酬には非常にシビアでした。それは誇りと自信を持って仕事をしていたことの裏返しであったとも言えます。
若かりし頃、単なる店舗の一スタッフとして仕事をしていた私は、オーナーである社長に対して直談判し、この店で一番仕事ができるのは俺なのだから、給料をもっと払っていただきたい…さもなくば辞めさせていただきますと言ったことがあります。
結果、奇跡的に認めていただけました。
しかし当時は周囲にかなり引かれましたけどね…その後追随する人間も出てきて、結果的には変わりましたけど。
わかりやすい例えを出すと…プロ野球選手の契約更改みたいなイメージです。単なる一従業員がああいうスタンスで自分の評価額が低過ぎるからと交渉してみたわけです…昔から自信過剰。
自信を持ち過ぎるのは危険ですが、仕事に対して抱く誇りも自信も…自分は大切なことだと思っています。人間がある程度打算的に動くことを否定しても始まりません。
だって事実だからな!!
世の中にはそりゃ本当の聖人君子のような人物も存在するのかもしれない。それを否定しようって話じゃないのです。
タダで”仕事”を依頼するということは、相手の仕事を軽く見ていることに他なりませんし、奉仕…いわゆるボランティアとして無償で仕事(?)を依頼するのであれば、虫がイイ話だと自覚するべきです。そしてそうした無償の奉仕内容に有償の”仕事”と同じクオリティを求めるのは、自分勝手過ぎることを知るべきです。
何故か売り手がつけた値段にケチつけて負けさせようとする輩も本質的に同じ。そこを決定するのは君じゃないってことですよね。納得できないなら買わなけりゃいいだけ。サービスを利用しなきゃいいだけ。もちろん対面販売で値引き交渉がアトラクション化しているようなものは例外ですけどね。
納得できないという思いを感じる人が多ければ…市場原理が働いた結果、相手は市場から撤退せざるを得なくなるわけです。俺がサービスを向上させてやるぜ…みたいな思い込みと上から目線による勘違いした意気込みで意見を伝えるのでは、なかなかプラスに働くとは思えません。
本気で自分の声による改善を期待するのであれば、声を上げる方も効果的な上げ方をする必要があるということです。
人と人の間の問題ですから表現の仕方、タイミングや伝える場所すらも大切だということを忘れてはならないのではないでしょうか。はじめから喧嘩腰では、まとまる話もまとまらない…そろそろさすがに気付いてきました。
だてに太って丸くなっていってるわけじゃないということだYO!!
私はかつて、口を出すことだけを生業としていた時期もあります。物を売る仕事とは違って…やはり未だに現実として、情報等の目に見えない価値を売る仕事は特に軽く見られがちだと感じています。また、地方ではことさらそうだと思います。
例えば生業としていわゆるコンサル的業務をしているような人物に対してでさえ、意見やアイデアを求めることは無料でしかるべしと考えているのはこのご時世、時代錯誤とすらいえるのではないでしょうか。
もちろん無料でやるべき案件もあるにはあると思いますけど。
コレとかな。↓
訳もなくテンションが上がる金曜日の夜…今夜は無理だけど、今度一緒に熱い夜を過ごさないかというお誘いレター。
ブーメランっぷりがスゴいことになる前に書いておくけど、これはあくまでも、まちの未来を盛り上げるために色々と話そうぜ的な有志の集い計画ですので…無償で出せるご意見やアイデアを話し合う場ですYO!!
こっから先は有料で…とか、契約してくれた人には続きをお話しします…みたいなのはNGだぞ。当たり前の話だけどな。
話の先にはもちろん、稼げる方法を生み出すという目的もあるけどね!!
無償で引き受けた約束と、報酬を受け取る前提で受けた話とでは、動く側のモチベーションが異なるのは当然なのです。それを理解しているからこそ、私が選挙に挑戦した際に協力してくれた皆さまには役割に応じ、超僅かながら法定内で支払える金額をお支払いしました。
私の中で支払いたい相手であっても、法律的な縛りから支払えなかったり、断固として受け取りを拒否された方もおられましたが…たとえ善意から協力してくださった方々に対してであっても、最低限の礼儀というか…尽くすべき礼節はあると考えています。当然のことながら、そこには線引きが必要です。一歩間違えると公職選挙法違反やしがらみの発生に繋がりますし、奉仕的精神ベースで取り組んでいただかないと、正直なところ仕事としては全く割に合いません。
仕事の報酬がゼロで構わないという人は、ゼロでいいと思います。そうすることで金銭の使い道として、他に選択肢が生まれることは日本経済にとって悪いことではないでしょう。
ゼロでは困るという人は、少なくとも報酬が一定の割合は仕事のモチベーションとなっているわけであって、報酬カットがもたらしかねない弊害について、自分の身に置き換えれば理解できるのではないでしょうか。
政治家が仕事をしているか、現在の報酬が適正か否かといった議論とは全く別問題として、政治家の報酬や政務活動費などのコストをカットする方向にばかり目が行ってしまうのはある意味当然ですが…それはリスクをはらんでいる流れかもしれません。
正直、今の大多数の政治家は全然ダメだと思っています。現状が全てを物語っているわけですからね。
想像力を働かせ、誰の目にも明らかな数字に表せる結果へと繋げていくためにも、政治家がしっかりと仕事をするために本当に必要なコストはかけていくべきです。ただ、無駄は絶対にいけません。無駄が多過ぎるからこそ、誰も納得できないわけです。
それをチェックし、あるべき姿に調整していくためにも、結局はやはり徹底した情報公開が必要なのです。以前その大切さを訴えるエントリーも書いております。併せてお読みいただけると幸甚です。
僕も女優さんとあんなことこんなことしたい。夢は口に出せば叶うかもよ…という有難いお話。
あのね、タイトルは下ネタ的で刺激的でも内容は極めてマジメですYO!!
それでは皆さま素敵な週末を。また明日!!