玉ねぎみじん切り大会?大のオトナが人前で堂々と涙を流す方法。

未来拓く、みうらひらくです。
年々涙もろくなっている、みうらひらくです。

最近泣いた?

そもそも人は泣きながら生まれ落ちる。泣きまくって成長するのだ。

まだ喋れない頃の記憶がある人とない人がいる。男は人生で3回しか泣いちゃイカンなどと言い始めた御仁が後者だったのは間違いない。ひょっとすると既にボケ始めていたのかも。年寄りの発言は重いのに…その重さを自覚していないケースもあるため、さらに厄介なのだ。

さて涙。

昨日も書いたようにストレスは我々にとって大きな問題だ。その形は多様化していっており、解消法も様々である。

だが共通することもある。ストレス解消とはそもそも何を意味するのか?異なる手法でアプローチしたとしても、求めている結果は実は同じなのだ。

そう、つまり目的はスッキリすること。食事中の皆さまには申し訳ないが…もはやそれは便意にも似た欲求である。我慢していた便を排泄する際のスッキリ感は性欲のそれにも劣らない(?)。食欲・睡眠欲と並ぶ三大欲求の一つが排泄欲だろうが性欲だろうが…俺にとってはどうでも良いことである。

何が言いたいのか、話がおかしな方向に向いてきたが…ポイントはスッキリするためには幾つもの手段があるということ。

以前のエントリーで書いたように、ぶっ壊すことでスッキリするという手もある。破壊衝動は多かれ少なかれ、誰もが持っているからね。

ただ、泣いてスッキリするという手段もあるということだ。泣くこと自体も手段である…ストレス解消してスッキリするためのな。次はその前の、泣くための手段を考えれば良い。


俺なんてちょっとした映画を見るだけで泣いてしまう安い涙の持ち主だ。結構昔から涙もろいのは感受性が豊かなのか、ただの遺伝か、泣き虫なだけかはわからない。泣き虫男子にはなりたくないが…人目を憚らず思いきり泣けるとしたら、確かにスッキリするだろう。

普通、大人は泣く際に人目を憚る。意外と簡単な漢字だからこの際覚えて書けるようになろう…憚る(はばかる)だ。通常は人前でできないことを堂々とできるのは楽しい。泣くのに楽しいってのも奇妙な表現だが、きっとそうだ。

そーゆー場あったら良いと思わない?

今回は玉ねぎみじん切り大会を提案しよう。料理をやったことがある人なら誰もが知っているだろう玉ねぎの涙を誘う力は、火垂るの墓にも負けまい。

玉ねぎ切って思いっきり泣くと良い。そこは大人が泣いても何の不自然さもない場面だ。さぁ泣いてくださいと言われても普通泣けない。大人がオイオイと泣いているのは見る方も微妙だし、一歩間違うと変な宗教じゃないの的な香りすら漂う。

玉ねぎみじん切りにして食っちまおうぜ!涙もスパイスである。カレーにしちゃおうぜ。大鍋でグツグツ煮込んで、激辛カレー作って、そこでも辛さのあまり泣いちゃえば良い。それ見て誰かが笑顔になるだろう。あなたの涙が誰かを幸せにするかもしれない。

人前で泣くのも、場合によっちゃ周囲をハッピーにするかもしれないのだ。自分が笑えなくとも周囲を笑わせられたなら、あなたの未来は明るい。


何だか、そーゆー仕掛けを打つためのアイテムは周囲に転がっているような気がしないでもない。いっちょ動いてみますかな。

本日はこんなところで。また明日!

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三浦 ひらく

三浦 ひらく -PROFILE-

世界を暮らしやすく楽しく変えるため、相棒ひらくマと一歩ずつでも現状改善していくために日夜ハゲむ、1978年生まれの岡山県津山市議会議員。選択肢の多い社会を目指し、政治も手段の一つと捉え、地域振興、多様性理解促進、生きづらさ解消、表現の自由を守るための活動、インフルエンザ脳症撲滅、臓器移植意思表示推奨などをライフワークとして活動している。

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