未来拓く、みうらひらくです。
色んな世界の”マイノリティー”と接する機会が最近多い、みうらひらくです。
そもそも、マジョリティー(多数派)だのマイノリティー(少数派)だのといった概念は一体何なのでしょう?
実際のところ生まれた瞬間から、人間にはレッテルが付いて回ります。生まれたばかりの赤ん坊の無垢さに文句を付ける向きは少ないでしょうが…現実としては出自などにより人生の最初から何らかのレッテルを貼られることは少なくないと言えるでしょう。例えば、日本人であるということも一つのレッテルなのです。
そんな風に…生きていく中、社会生活を営んでいく中で我々は至極勝手に、自然あるいは不自然に…他者を評価判断し、そして評価判断されることで、レッテル貼りを繰り返しているのです。
つまるところ、多数派だの少数派だのという狂騒の正体はこれだけの話です。例えば、地球上の全人口に対する日本人の割合を考えてみましょう。
世界の総人口を75億人(多分それより多いけど)と考え、日本の総人口を1.5億人(絶対にそれより少ないけど)と仮定して考えまると…。
日本人なんて2パーセントに過ぎない。
詭弁って思うかい?これから先はもっと減っていきますぜよ?
レッテル貼りには大した意味などないのです。統計データが示す数値なんて、あくまでも参考数値にしか過ぎないのです。コスパを考えた際に多数派が優先されるのは当然の結果であり理解できることではあります。しかし自発的にマイノリティーとなる選択をした場合と…そうでない、先天的とすら呼べる場合では、あまりにも事情が異なります。
みずから進んでその道を選んだ結果としてのマイノリティーと…みずからの意思に関係なく、マイノリティーであることを運命付けられたケースとは、明確に区別するべきです。
そして俺が信じる政治の最も大切な使命の一つは、後者の”先天的マイノリティー”の権利を守ること。
政治家ではない今の自分にも、そのために出来ることは少なからずあると考えております。そんな思いでブチ上げる…素晴らしい企画を近日中に発表いたしますぞ!
大事なことだけど、当事者を含めた皆が見失いがちなことを最後に。
そもそも当事者にとって大切なのは割合ではありません。どう判断するかは個人の自由…ただ、本当のところを知ってほしいだけなのです。
それでは本日はこんなところで。また明日!