未来拓く、みうらひらくです。
細かいことが気になるのが僕の悪いクセ、みうらひらくです。
そんなこと言いつつも、本当はそんなに悪いことだとは思っていません。一緒に仕事したことがあるメンバーなら知っていることですが、気になったら言わざるを得ない性分です。
言った方が結果良くなると思うから言うのだ。多様性を容認する社会などと言いつつも…特に自分と異なるものや知らないもの、理解できないものに関しては簡単には容認できないのが人間であります。
俺は違うって人いる?
いても良いけど…本気で言っているならソイツは基本的に信用できないと思った方が良いかもしれませんね。
さぁ、容認できない状況を目の当たりにしたとき…あなたならどうする?
自分の主義主張を無理やり認めさせる?結論から言えば…何事にも無理強いは禁物だと思っています。いやいやながら強制力をもって何かをさせたとしてもロクな結果にならないことは、誰もが容易に想像できるでしょうし…身をもって知っている人もいるはず。
だってイヤじゃん、無理やり何かさせられるの。
やはり本人の意識が変わらないと根本的な解決は難しい。
そうは言っても意識を変えるのは簡単ではありません。だからこそ、そこに緩衝剤的役割を期待できる何かがあると助かる。最近様々なシーンでそれを実感しています。外国人の方などとコミュニケーションを取ると実感しやすい(言葉の通じない相手という意味で)のですが、多くの選択肢を用意しておくことは満足度向上のために必須。優れた語学力や自動翻訳機、案内サインや図表、ボディランゲージ、筆談等を思い浮かべればわかりやすい。
言葉すら理解できない相手に対しても有効でわかり合える助けとなる、選択肢を増やすという手段は本当に大切です。
語弊があるかもしれませんが…政治以外の交渉現場でも良く使われる”落としどころ”という表現がしっくりきます。
自分にとっての100点は、誰かにとっての0点になり得る。
この意識を持っておくことが肝要。そーゆー意味では、多様な人たちが生活している社会空間で、なるべく多くの人がより幸福であり続けるため(実際にはそんな数値は計測できませんが幸福量の総量を増やすため)には、100点を取ることにこだわってはなりません。
上記エントリーと矛盾するようですが、アンケートなり数値化する工夫は可能です。
70点でも50点でも…場合によっては30点でも良いんじゃない?
現状が0点ならば、それよりはるかに望ましい状態になるわけです。
もし自分の主義主張が世の中も待望している素晴らしいものだったとしたら、おのずとその数値は100点に近づいていくことでしょう。
しかしそれでもなお、少数派を強引に押しつぶすことはあってはならないと俺は思います。
先日書いた喫煙に関するエントリーには、超愛煙家レベルの喫煙者の方から、超嫌煙家の非喫煙者の方まで…多くのリアクションをいただきました。それぞれの主義主張があると思いますが…自分の中では現状、わかりやすく徹底した分煙による選択肢の増加こそが、より多くの人たちが幸せでいられる手段ではないだろうかと考えております。
我が母校(卒業していないけど)のケースも大きく取り上げられた下記の記事も、ご一読いただければ何かの参考になるかもしれません。
大学近くの路上喫煙増加、住民苦情で喫煙所存続良く言われることの一つだと思いますが、用を足す者がいる以上…トイレは用意すべき。
完全に法が禁止してしまった世界でない以上、そして健康増進法や受動喫煙防止条例がある以上…絶対にタバコ吸うなとは言えませんが、吸う時や場所は選ばなくてはなりません。
簡単に解決できる問題でないことは確かですが、お互いにとって良いように現状を改善するための工夫はすぐにでも出来ることがあるんじゃないかと思う今日この頃なのです。
どんな問題であってもね!
本日はこんなところで。また明日!