未来拓く、みうらひらくです。
津山市議会議員、三浦ひらくです。
連日10,000歩以上歩いているここ数日と対照的に、今日は移動距離が極めて短い1日でした。市役所にすら行かずじまいで、ほとんどの業務をオンラインや電話で済ませました。ちなみに本日新たに新型コロナウイルスへの感染が確認された津山市民は1名でした。
まぁ、この報告の仕方って…イエモンのJAMっぽくて嫌いな人多いと思うんだけどね…。世代じゃないとわからないかもしれませんな。
今日のブログエントリーとは直接の関係はありませんが…Facebook投稿で取り上げたNHKの記事は是非、読んでいただきたい内容です。
理不尽極まりない。
こんな言葉を子どもの口から言わせなくてはならないような世界は…誰が何と言おうと間違っていると私は思います。誰もが自分らしく生きていけるように…そのために皆で努めていける社会、そういう社会を目指して、私は政治に取り組んでいきます。
例えばそうした目的を達成するためのアプローチも多種多様です。今日、あるシーンでは目的達成までの道のりを山登りに喩えられた方がおられましたが、登山ルートは一つではありません。
多くの人が通るルートは安心で安全かもしれませんが…例えば頂上を目指さねばならないが既存のルートでは間に合わないような際にはそれこそ、自分自身で道を切り拓いていったって良いわけです。途中まで車で行ったって良いかも知れません。あるいはそれこそ頂上までヘリで行くことが可能な人もいるかもしれない。
苦労して自分の足で踏破した人と、ヘリで頂上に降りた人の満足感は異なるだろうという指摘をする感覚は正直よくわかります。だからこそ、登山に魅力を感じて山に登る人が後を絶たないのでしょう。
しかし手段が多様化しようと目的は変わらないはずです。どのような手法で成し遂げようと仕事の成果価値そのものは仕事をする主体が変わらない限り変わるものではないと私は考えているのです。
例えば、ヘリで頂上に行くことがどれだけのコストが掛かることかを想像すれば明らかです。ヘリコプターを1台飛ばすコストは、乗ったことがある人なら想像に難くないでしょう(ちなみに私はありません)。登山だけ見れば簡単に感じられるかもしれませんが、ヘリコプターを飛ばすという手段を用いることは大変です。
また、私たちはそれぞれ誰も皆…様々な事情を抱えています。
目に見えるものが全てではありません。何らかの事情で自分の足で頂上を目指すことができない人だっているわけです。
そういう人は頂上を目指すべきではないという考え方には、私は賛同できないのです。
また別の例を挙げますと…苦しい思いをしてやっとのことで成し遂げた仕事と、寝転んでお尻をかきながらテレビを見つつ仕上げた課題…その成果物が全く同じものだったとして。
あなたはどちらを評価しますか?
私は子どもの頃読んだ…ドラえもんの作者としても有名な藤子・F・不二雄先生の”エスパー魔美”というマンガ作品の中の一話をとても鮮明に記憶しています。
そしたら、とてもリアルにそのエピソードの内容を解説してくださっているサイトを発見しました。ご興味ある方はご確認ください。
もしかしたら読んだことがある方もおられるかも知れませんが…このくたばれ評論家というエピソードは表現の自由を守る活動にも力を入れている私にとって、とても感じるところが多い作品で…実は恥ずかしながら今日の今日まで知りませんでしたが、ネット上では名言の詰まった名作としてかなり有名だったようです。
何だ皆も知っていたのかという…嬉しいような悲しいような気持ちですが…”くたばれ評論家”で検索すればアニメ作品も含め様々なメディアでその内容に触れることができるはずです。
たとえ飲んだくれで鼻歌まじりに描いた絵でも傑作は傑作であり、どんなに心血を注いで描こうとも駄作は駄作だという評価をする評論家と…その厳しい批評に対してカンカンに怒りながらも、公表された作品については全ての人が自由に批評する権利を持ち、どんなにこきおろされても妨げることはできず、それがいやなら誰にも見せないことだと断言した絵描きの間のドラマ。
小学生だった私にとても強い影響を与えた話だったのだと、今改めて実感しています。
政治もある意味で同じです。
政治は結果で評価されるべきで、どれだけ頑張ろうとそれはプロセスに過ぎず…結果として事態を好転させられないのであれば、私はそこにほとんど価値を見出すことができません。むしろ楽をして効率的にしていくこと…悩み苦しむのではなく、楽しみながら仕事をしていく工夫をこらすことは褒められこそすれ、叱られるようなことではないはずです。
昨日のエントリーで少しだけ触れた…東京都江東区の木場公園でお会いした方々は、とても楽しく活動されていました。
今日の様子も、メンバーの方がわざわざ動画を送ってくださいました。ほんのちょっとお手伝いしただけなのに、まるで古くからの仲間のように扱ってくださるのは、本当に有難いことで嬉しく思いましたが…これを、喜ぶばかりでなく、自分自身の周囲に波及させていかなくちゃなと思った次第です。
参加メンバーもそれぞれがアーティストだったり、まちづくりに関わっておられたり、NPOの理事の方だったり、商店街の主だったり…それこそ、多種多様!別に団体名などない、それこそ有志で集まった面々とのことでした。
皆さんと色々とお話しした中で、最も印象に残ったことを一つだけ紹介させていただきます。
それは点を線や面にするために繋げようとする動きはコスパが悪いということ。
そういうことを政治家や議員、そして行政も正しいと思い込んでやりがちです。それは確かに悪いことじゃないんだけど…でも、点を増やすことの方が労力も少なくて済むし、無理やり感がなくて押し付けがましくないし、選択肢が増えるという話でした。
選択肢の増加、多様性の容認を訴えている私ですが…頑なになり過ぎていた部分があったと気づかされました。選択肢を増やすことでしか、価値観が多様化した現代において幸福量の総量を増やすことなどできません。
件の批評家と画家のストーリー…リンク先を読んでくださった方には繰り返しになりますが、画家は批評家に批評する権利があるのと同様に、画家にはその批評に対して怒る権利があると言っています。
「あいつはけなした!ぼくはおこった!それでこの一件はおしまい!!」
そして最後にこう結ぶのです。
「そのうち、あいつにもけなしようのないすばらしい絵をかいてみせるさ。」
感動やろ。
マンガって本当に良いものですね!
押し付ける気はありませんが…好きなものを否定されると気に入らないのが人間の性かもしれません。しかし…マンガであろうが教科書であろうが、どこから学んだ知識でろうとそれが本人にとって有意なものであるならば。
その価値を否定することは誰にもできません。
場合によってはその真贋すら、意味のないことかもしれませんね。
誰にもけなしようのない絵を描けるとは思っていないけど、誰かを元気にしたり、笑顔になってもらえるような絵なら描けるかもしれない。
それはきっと、あなたにも描けるぜ!
本日はこんなところで。また明日!