未来拓く、みうらひらくです。
津山市議会議員、三浦ひらくです。
さて、今日も超絶忙しい一日でした。でも、昨日のエントリーからは勇気づけられたという連絡を何件か頂戴して…とても嬉しく思っていますし、当然ながらこの種のメッセージは、また頑張ろうと思えるチカラ…原動力になります。有難うございます!
つい先日、議員のイメージをアップデートしたいという記事も書いたばかりですが、こんな奴でも議員になれるんだぜ的に思ってもらえるくらいに身近な存在でありたいという気持ちも持っているのです。私が、みずから黒歴史も晒していく誰も得しないと言われがちなのに継続しているストロングスタイル(?)を貫く裏にはそーいった事情もあるのです。
昨日の最後に引用したマンガは東京藝大出身の山口つばさ先生による現在も月刊アフタヌーンにて連載中の名作、ブルーピリオドの一コマ。
ハッキリ言って私は何回も読みながら泣きましたし…めちゃくちゃ面白いので心からオススメします。
このコマのようなセリフを、子どもの頃の私に投げかけてくれる大人がいれば、私の人生が少しは変わっていたであろうことは間違いありません。私はこう見えて(まぁ今でもクマなんて描いているので何となくおわかりかもしれませんが…)絵を描いたりすることが結構得意でしたし、何より…とても好きだったのです。
ただ、色の見え方が多くの人たちと圧倒的に異なるのです。
残念ながら…当時の私の周囲には誰一人として、私に見える世界を肯定してくれた人はいませんでした。
もっと言えばむしろ否定されてばかりでした。
そうした積み重ねが原因となり、塗り絵などはもちろん、絵を描くこと自体が少し嫌いになってしまったことは、私にとっては実はとても大きな問題でしたが…幼い私はそれをあまり大きな問題だとは考えないように努めたのです。
それは本当はとても苦しいことでしたが、幸いなことに、世界には他にも沢山の魅力があるということに気づけたので、私は何とか長い間つらい事実から目を逸らすことができたのです。それは非常にラッキーなことでした。
しかし、私のように幸運な人ばかりではないことは明白です。
子どもたちの自己肯定感を醸成していくためには、家庭での時間も当然に大切ですが、教育現場でしっかりと取り組んでいただかなくてはなりません。
自己肯定感が低い場合、あらゆるシーンでそれがマイナスに働くことは確実です。だからこそ、繰り返し何度も、議会でも、教育において学力向上よりも大切なアプローチの一つではないかと言い続けているのです。受け容れがたい理不尽や、不条理な強制力に立ち向かうチカラとなるからです。
例えば…自己肯定感が高い人間が増えていけば、自殺者は確実に減少すると考えられます。
自己肯定感が低い方が望ましいシーンなんてあると思う?
ひきこもり、不登校の子らの支援などに取り組んでいる身として…子どもたちはもちろん、大人でも精神的にダメージを受けていたり、疲れている人たちに常々言っていることを、今日は最後に共有しておきます。
どこかに必ず味方がいるってこと。
多くの場合、そういう話をする相手に対しては…そんなことはないはずだけど、もしも誰もいなかったなら、その最後の砦に私自身がなるぞという決意を持って伝える言葉ですが…たとえそれが私ではなかったとしても、誰にでも必ず誰かがいるのです。
俺にはいねーよと思いながら当ブログを読んでいる人がいるとしたら、それは自分自身が気づいていないだけだと確信を持って言えます。
無条件で自分自身を肯定してくれる存在がいてくれたからこそ、大人になれるのですから。
子どもたちを守るのは、元は子どもだった我々大人の責務であると、強く思うのです。
喜んでいただければ、私自身の自己肯定感も高まります。つまり誰かに何かを相談することで…相談された方も必要とされていると感じるわけです。だからむしろ人助けだと思って、遠慮せずに助けを求めても良いと思ったりもするわけですよ。
なかなかの自分語り的エントリーになってしまいましたが、独白的雑談なんてカテゴリーはこういう内容で良かろう…という自己肯定感強めの言い訳を残して…本日はこんなところで。また明日!