愛娘くーちゃんと共に日本中の新聞紙面をジャック?共同通信配信記事で、全国各地の新聞に掲載された話。

未来拓く、みうらひらくです。
津山市議会議員、三浦ひらくです。

今日は久しぶりに…でもない気もしますが、世界一可愛い我が家のアイドル、2020年の2月に5歳でインフルエンザ脳症により急逝した愛娘・愛來(あいく・愛称くーちゃん)のことについて書きます。

当ブログにおいて、くーちゃんのことは彼女が倒れるまでは紹介させていただいたことはなかったと思いますが…皮肉なことに闘病中、そして亡くなった後からは何度も触れてきています。実は彼女は一緒に撮影した写真や動画を仕事でも使ってほしいと言ってくれていましたが、個人的に抵抗があり、その願いを断っていました。興味がある方は”くーちゃん”とブログ内で検索してみてください。沢山の記事に触れていただくことで彼女が今でも私の心の支え、行動指針になってくれていることを含めて、色々と感じていただけるのではないかなと思います。

ただ…今現在、私が最もチェックしていただきたい娘に関する発信は、東京・聖路加国際大学でのシンポジウムで登壇させていただいた際の動画です。未見の方は是非チェックしてやってください。すでに当ブログでも何度も紹介させていただいていますが…あらゆる方に観ていただきたい話をさせていただいているつもりです。

そして標題の通りなんですが…くーちゃんと全国デビューしました!

10月末から11月の半ば頃までしか確認しておりませんし、そもそも地元紙では紹介されていないので、津山市の中ではほとんど触れていただくことはありませんでしたが…実はこのところ、日本中で新聞に取り上げていただいていたのです。

京都新聞(10月30日)

大分合同新聞(11月1日)

東京新聞夕刊(11月1日)

中部経済新聞(11月8日)

佐賀新聞(11月10日)

中国新聞SELECT(11月12日)

西日本新聞(11月14日)

それぞれの写真をタップorクリックしていただくと拡大可能。

ただ、基本的には全て同じ記事です。クソ暑かったこの夏の最中…8月にわざわざ津山まではるばる取材に来てくださった共同通信の記者である寺田佳代さんが書いてくださった記事です。

紹介させていただいた写真たちは、国内で臓器移植法に基づいて行われた脳死判定が1,000件に到達したことが発表された10月末に全国へと配信され、各紙の判断で掲載された記事の数々でして…オンラインで紹介されたものなどを含めると全部でいったい何紙あるのかまでは把握しておりませんが、日本中の沢山の新聞に掲載された中から幾つかの実際の紙面を、わざわざ寺田さんご自身が我が家へと送ってくださったものを撮影させていただいた写真です。

寺田佳代さん、有難うございました!おかげさまで…心がとても温かくなるようなリアクションを頂戴しています。

例えば…東京新聞の記事は夕刊でしたが、その日の内に都内在住の複数の方から、「くーちゃんが掲載されていた記事を見たよ!」ということでSNS等を介してご連絡をいただきました。これは他の地域の新聞をご覧くださった皆さまに関しても本当に漏れなくそうだったのですが…ご連絡いただいた全ての皆さまが私ではなく、くーちゃんを見たよと連絡してくださったこと…そして記事中で、新聞記事であるにもかかわらず、愛來ちゃんではなく”くーちゃん”と表現してくださった寺田さんのご配慮に、感謝の気持ちでいっぱいです。

娘は”くーちゃん”と呼ばれるのが大好きでした。

その話を覚えてくれていて、最高の形で紙面に反映してくださった寺田佳代さんには本当に感謝です。津山に来てくださった際、私は取材の後にほとんど時間を取れないスケジュールを組んでいて、それでも急ぎでランチくらい一緒にと言いながら訪れたお店がまさかの休業日でして…それならってことで訪れた津山の人気スポットまでもお休みだったのですが、最高の笑顔で写真を撮って帰っていかれました。

ご本人の希望により、クマ田佳代さん化していますけども。

ただ…寺田さんの記事により、当ブログでも一度も出したことがないはずの名前どころか、年齢までバッチリ全国に発信されてしまったことで、妻は激おこプンプン丸でしたが…まぁもはや誰も使わないであろう表現が未だに用いられている我が家の中での話なので、これは心底どうでも良いこと。

ゆーても、今までは私がどれだけ積極的に発信しようとも、くーちゃんのことを自分自身では公の場で話すことなど有り得なかった妻が、こうやって当時の心境を話せるような状態になれたこと自体がメチャクチャ凄いことで…取材を受けた理由には寺田さんのお人柄もあったことは間違いありませんが、周囲の方々、そしてこのブログを読んでくださっている皆さまの中にも沢山いる、私たちを支えてくださってきた人たちのおかげさまですので…改めてお礼を伝えさせてください。

有難うございます!

事あるごとに言ってきていることですし、改めて言うまでもないような話ですが…くーちゃんは今でも私の命より大切な、世界一可愛い子です。それは私にとってもう一人の世界一可愛い子が誕生した今でも…これから先も、ずっと同じです。

そして誰もがきっと、かつては誰かにとっての世界一可愛い子だったはず。

今でも、誰かにそう思われている人は幸せだし…そう思える誰かがいる人は、きっともっと幸せなのではないでしょうか。

世界一可愛い子、それは自分の子どもであろうとなかろうとなかろうと構わないと思っています…それが子どもではなく大人であっても、あなた自身であっても、存在しない子であったって、そんなの個人の自由で、誰にも文句を言われるような筋合いの話ではない、と私は考えています。好きな人や好きなものを好きであることが許されないような社会を、私は望みません。内面の自由、いわゆる思想・信条の自由とも言われる日本国憲法第19条によって守られている自由権は、表現の自由を守る活動に力を入れている私にとって、最も大切な自由の一つです。

あなたにとっての世界一可愛い誰かが、あなたと一緒に幸せでいられますように。

毎日くーちゃんと一緒に祈っていますし、これからも祈っていきます。

そして祈るだけでは宗教っぽい話になりますので…議員として、彼女が応援してくれた、そして今も応援してくれているであろう私の仕事を全うするために、頑張れる限りは精一杯頑張り続けることを、くーちゃんの名にかけて、改めて誓います!

最後に、新聞記事の文字が小さくて読めないって方のために、記事をテキストに起こしておきます。

寺田さん、お読みくださった皆さま、そしてくーちゃん…ありがとう!

岡山県津山市議会議員の三浦拓さん(45)の長女愛來ちゃん=当時(5)=は2020年1月、インフルエンザ脳症で搬送から27日後に脳死判定を受けた。
夫婦の初めての子ども。
たくさんの人に愛されるようにと名付け、愛称はくーちゃんだった。

「くーちゃんならどうするかな」。
ひたすら考え、臓器提供を選択。
娘を失った後悔は消えないが「家族が前を向いて生きる助けになっている」とも話す。

前日から発熱したくーちゃんは、かかりつけの病院でインフルエンザと診断された。
医師とじゃれる様子もあったが、帰宅後に急変。
体温は41度を超え、失禁した。
インフルエンザ脳症だった。
意識は戻らず、搬送から10日後に医師から脳死に近い状態だと告げられた。

本人へ意思確認はできない。
「友達に絵本を読み聞かせ、覚えたての字で私たちに手紙を書いてくれた」。
頭に浮かんだのは周りを気遣う優しい姿。
「命が助からないのならば」と臓器提供を切り出した。

当初、妻の彰子(あきこ)さん(43)は反対した。
「数値が少しでも良くなるたび、まだかすかな望みがあるような気がした」と彰子さんは話す。
だが脳出血を繰り返しながら命をつなぐ、くーちゃんを前に心が傾いた。
「もう十分頑張っていた」と涙を流した。

心臓や肝臓などの臓器を5人に提供することが決まり、摘出前夜は病室にストレッチャーを並べ、家族で川の字になった。
午前4時に準備が始まり、臓器が病院から運ばれていった。
「5人だけじゃない。多くのその家族まで助けたよ」。
周囲の言葉に救われた。

拓さんは「病気への知識不足や救急車を呼ぶタイミング。後悔はたくさんある」と明かす。
臓器提供の選択が、必ずしも善だとは思わない。
「提供するかどうか、冷静ではいられない中での選択になる。普段から考えておくべきだ」と話した。

それでは…本日はこんなところで。また明日!

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三浦 ひらく

三浦 ひらく -PROFILE-

世界を暮らしやすく楽しく変えるため、相棒ひらくマと一歩ずつでも現状改善していくために日夜ハゲむ、1978年生まれの岡山県津山市議会議員。選択肢の多い社会を目指し、政治も手段の一つと捉え、地域振興、多様性理解促進、生きづらさ解消、表現の自由を守るための活動、インフルエンザ脳症撲滅、臓器移植意思表示推奨などをライフワークとして活動している。

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