未来拓く、みうらひらくです。
津山市議会議員、三浦ひらくです。
沢山のリアクションを頂戴していますが…昨日のエントリーは少しつらい内容ではありました。
実は今日も、悲しい話です。
だけど、だからこそ…書いておかないといけないような気もしています。
問いかけておいて何ですが…私自身も、正確には何人いますと数え上げることはできないというか、するつもりもないんですけどね。
かつては確実に友と呼べていた相手であっても、何かの拍子に友人関係が終わってしまうこともあれば…知り合ってからの時間が短かったとしても、そんなことは問題でないくらいに深い信頼関係で結ばれた友人となることもある。それこそ、私たち一人ひとりがそれぞれ全く別の個人であるのと同様に…いや、だからこそ、友人関係のあり方も人それぞれで、あなた自身のことについて考えてみたとき、一つとして同じケースはないはずです。
ただ、本当に友と呼べる相手であれば…長い間コミュニケーションをとっていなくても、会えていなかったとしても、何かの拍子で再会した際には、時間が経ったことなど何の問題もないかのように、笑顔で良い時間を過ごせるものなのではないでしょうか。

本日午後は、そうした皆とプライベートな時間を取らせていただきました。
携帯電話の着信もメッセージアプリの通知等も数時間はスルーさせていただき、優先すべき友人との時間を過ごさせていただきました。個人的には…友人と言うよりも仲間と呼ぶことの方がしっくりくるような、本当に気の置けない面々との久方ぶりの交流は、日頃のストレスや疲れを吹き飛ばすだけのパワーをくれる時間になりました。
本来そこに一緒にいるはずの友人が一人欠けていたことを除けば、とても素晴らしいひとときでした。
「またね!」と別れた相手と、二度と会えないかもしれないことを、私たちは知っておくべきだと思います。
二度と会えなくなった大切な誰かのことを、覚えておくべきだと思っています。
体の衰えを感じるシーンが増えただけでなく、脳の劣化も著しいものがあることは人間ドックの結果を待つまでもなく自覚しています。そして忘れること自体が、ときには救いになることも理解しています。ただ…それでも。
私は何も忘れたくないのです。
かつて音楽に取り組んでいた際に作った曲の歌詞に、”僕の記憶だけが僕を甦らせる”というフレーズがありました。誰にだって正直、忘れられた方が楽な記憶の一つや二つはあるんじゃないかなと思います。それを忘れること自体、全く悪いことではないし…自由だとも考えています。
それでもやっぱり、未来のためにも、今の自分をつくってくれた過去を忘れないでいたいのです。

比喩でも文学的表現でも、もちろんスピリチュアルでも宗教でもなく…過去の自分に携わってくれた全ての人たちは、現在の自分自身の中に確かに存在していて…共有した時間も確実に、蓄積されているのです。
覚えている限り、私の中にいるんです。
最近は正直、自分の言動すら忘却の彼方に追いやってしまうこともある私ですが…大切な人たちのことは、忘れやしませんぞ!
本日はこんなところで。また明日!