マイノリティーを応援する理由。田舎暮らしでは人は成長しない?

未来拓く、みうらひらくです。
津山の未来を切り拓く、みうらひらくです。

何度も書いてきている。岡山県第3の都市などと言いつつも津山市は田舎だ。それ以上に田舎である鏡野町にも縁ができたことで、最近の俺は田舎にどっぷりと浸かっている。ぶっちゃけ、そもそも岡山県自体が田舎であることは否定のしようがないだろう。日本全体で考えるとね。

田舎の若者は都会を見ておくべきだと強く思っている。友人や先輩・後輩の息子や娘たちが都会に出たがるという話を聞くたびに、行かせてやりなよと熱弁している。無論、若い子らと話す時にも同じことを言っている。海外に行くのも良いことだろう。

ともかく閉鎖的な場に止まり続ける事ほど成長を阻害するものはないのだ。都会に住む人が田舎を見ることが新鮮であるのと同様に、田舎に住む人が都会から得られる気づきは少なくない。俺自身、18歳から33歳までの15年を東京を中心に生活した経験は、何物にも代え難い財産になっていると感じているところが大きい。まぁコレ、どこで暮らしていても同じこと言ったかもしれないけどね。

ただ重要なのは…得られる情報や経験の幅が桁違いだってこと。

都会はあらゆることが多様化していて、選択肢が多い点こそが魅力だと俺は思っている。理由はどうあれ、このボーダーレスなネット社会においても都会での生活を求める人が多い事実は、数字として明確に様々なデータが示している通りだ。

もちろん、都会にも田舎にも良い面と悪い面がある。だがそれを実感を伴って両方知るには、結局は住んでみるのが最も効率が良いだろう。知識を持っているだけの状態と、実際に体験してみるのとでは意味合いは大きく異なる。経験は多ければ多いほど引き出しが増えるものだ。無駄なことなどありはしない。田舎は、外の世界を知っている者が、それでも戻ってきたいと思えるような場所であるべきだ。

俺の経験則だけが根拠になっているわけではない話だと感じているのだが…一般論としても、田舎は総じて閉鎖的であると言えるだろう。それは様々な要因が絡んだ結果だが…現状がそうである限り、それを嘆いていても始まらないその中で変えていくしかないのだ。

閉鎖的になった結果、保守的になる新しいことや変わったことは受け容れられない傾向が強くなる。人と異なることを是とせず、できる限り波風を立てないことが好まれるようになる。

例えば俺が津山市議会議員選挙に挑戦した際、「東京でなら通じたかもしれないけどね、君のやり方は津山では無理だよ」という趣旨のお言葉を頂戴することは非常に多かった。ありとあらゆる小細工(つい最近久々に会った先輩が用いた表現だが気に入ったので拝借)をせず、馬鹿正直に自分のやりたいた戦い方で挑んだ末に、敗れた。

実際それは、受け容れられなかったという結果を示しているのだ。だが負け方は良かったと…負け惜しみ半分ではあるが、本気で思っている変化を求めている層は少なからずいることは実感できたからだ。

そしてそれは津山市民の中には、もっともっと数多くいる。先日の津山市長選挙の結果も、それを裏打ちはしてくれた(つまらない選挙だったが)。

やりたかったことと、やれたこと。そしてやっていきたいこと。

2018.02.11

津山市は変化を求めてはいない。

俺のような活動をしているとそう言われることは結構多いし、今まではそうだったかもしれない。だが、このままではガラパゴスの中のガラパゴス化してしまう。スーパー超絶ガラパゴスを目指し、その道を突き進むという覚悟があれば、それも良いだろう。そこまで覚悟を持って突き進むのであれば、俺は面白いと思う。

外から見ている分にはねッ!だが、多くの市民はそんな前時代的な社会に取り残されたいと考えてなどはいないだろう。どちらかと言えば、先に進みたいのではないだろうか。

先に進もうぜ!

自治体は積極的に攻め、前衛的な手法を採用していくべきだと考えている。失敗すら恐れず、誰よりも先に進むくらいの気概があっても良いのではないか。失敗しても何とでもなるのだ。

だって現に、今まで失敗ばかりじゃない?マイノリティーへの理解を進めようとする一連のアクションには、そうした攻めの意図もある。口先だけの多様化容認ではなく、変えるためのアクションを実際に起こすべきだという意味の話だ。

ただ、それでもやはり…実行は簡単なことではない。理屈で何と言ってみても、今まで偏見や差別に晒されてきた立場の方々にとっては難題だろう。

だから俺は、みずから戦う人たちを尊敬し、応援する。

自分にできる限りのサポートをする。それが俺のスタンスなのです。

本日はこんなところで。また明日!

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