未来拓く、みうらひらくです。
先日、こんな記事を読みました。
甲子園優勝校、地元の「祝勝セール」は厳禁? なぜ一商店の営業努力にまで口を出すのか
まぁ何というか…高校野球には特に”高校生らしさ”っていう作られた幻想がありますよね。
勝利こそ、おそらく当事者たちの多数派にとっては最高の栄誉であるでしょう。
しかしそれに至る手段として、例えば強打者を敬遠するなどの”高校野球に相応しくない”と、当事者でない者たちの多数派が判断する策を選択すると…めっちゃ叩かれる。
”高校生らしくない”戦法を使って勝とうとすることは、自発的マイノリティーへの道であるわけだ。
甲子園という全国ナンバーワンを決める舞台においてすら、試合に勝とうという最も根源的な目的を達成するためにベストであると信じる策を取れなくさせる。
何だこの謎の呪縛は。
それが「◯◯らしさ」の恐ろしさ。
それ以外にもリンク先の記事は様々な問題提起をしてくれています。
高校野球をビジネス化することの是非とかね。
つか、実際ビジネスになっている部分もあるじゃん…ゼロとか無理じゃん。
毎度おなじみ、机上の空論にしか過ぎません。
色々な意見があるだろうけど…教育とビジネスを完全に切り離して考えるってこと自体、センスレス。
商業高校や工業高校…ビジネスの基礎を教えている高校なんていくらでもあるじゃんね。
そもそも社会に出てから生計を立てる上での選択肢を増やすための準備という側面は、教育の非常に大切な役割だと考えるのは俺だけか??
こういった問題のすべての根源に潜む、正義の皮を被った悪意。
もう一度言おう…それが「◯◯らしさ」である。
中学生のときに、選手宣誓をする機会がありました。
その際、必ず入れろと言われた単語が”中学生らしく正々堂々と”というものでした。
”正々堂々と”やることが”中学生らしい”のか。
おそらく多数派の答えは”YES!!”だろうな。
本当は全く正々堂々としていない奴も、平気でそう答えるだろう。
ヘタレな僕は…ジョージ・マイケルっぽい教師に尋ねることもできず…。
ミッションはやり遂げたが、未だに引っ掛かっているわけです。
ぶっちゃけ中学生でも、正々堂々としてない奴なんていっぱいいるだろ。
ちなみに私は…”正々堂々と”卑怯な手も使っていましたYO!!
だって僕バスケ部だったもん、フェイクなんぞ日常茶飯事。
そうあって欲しいとか、そうありたかったとか…まぁ希望ですよ、大人の都合。
多数派の都合や自分勝手な思いの積み重ねによって形成される、見せかけの善意。
それが◯◯らしさ(3度目)。
別に良いよ、本来は完全な悪ではない”はず”だし。
全否定するつもりはナイ。
でも正直、そーゆーの押し付けられちゃたまらないし、押し付けないようにしなきゃと思うのです。
ただ知っておく必要があるのは、マイノリティー側につくことで払わなくてはならない代償もあるってこと。
そういう”臭いもの”について教えることの方が、よっぽど大事な”教育”だと感じる今日この頃です。
ではまた明日!!