未来拓く、みうらひらくです。
春はあけぼの、みうらひらくです。
最近あけぼの(明け方)はブログを書いております。曙はリハビリ中だそうです。
曙太郎、生命の危機乗り越えリハビリ 必ずリングに曙はともかく国会は一体何をやっているのでしょう。このところクローズアップされ続けているのは森友問題。こういったネタがある度にマスコミは煽りたて、落ち着いた頃には次が出てくるのです。
今回の件は人が亡くなっていることも含め実際…とんでもない話です。また改めて所感を書こうと考えていますが、こうした世論を騒がせる事件が起こると毎回、自分がどう思うかを尋ねてくる友人がいます。
私がどう考えるかに単純に興味があるからだと言ってくれていますが、そうしたワイドショー的な下世話とも思える興味も、政治へ関心を持ってもらうための入り口としてはアリではないでしょうか。
好きなスポーツの話をする感覚で、政治の話を気楽に出来ても良いと…私自身は本気でそう考えています。ところで政治という大きなテーマに沿って考えれば、例えば地方議会でも必要に応じて国政に触れる機会があっても構わないと思います。しかし地方議会の場で行政に対し、国策や憲法問題などを論じようと質問をぶつけるのは限りなくコスパが悪い行為です。
だって限りなく無意味じゃん。
地方議会…しかも田舎の津山市議会においてすら、こうした時間の無駄とも思えるシーンを目にする機会はありました。しばしば低レベルと揶揄される声が聞こえてくる津山市議会とは言え、曲がりなりにも(それではダメですけど)市政を担っているわけです。
ああ、人のせいにする積もりはないので改めてハッキリと書いておきましょう。
私自身、非常に低レベルだと感じております。つい先日の市議会傍聴でも、その思いは変わりませんでした。
重ねて誤解のないように明記しておきますが、これは津山市議会に限った話ではありません。日本全国いたることろの議会が、時間を浪費しているのです。
民間では有り得ない超絶にコスパの悪い会議…それが議会です。
だからこそ政治離れが進み、誰からも期待されることがなくなった政治は、それでもなお圧倒的な決定権だけは持ち続けているがために暴走し、腐敗し、またさらに信頼を失っていっているのが現状だと言えるでしょう。
何という負の連鎖。こうした現状を打破する方法は、もはや一つしかないのです。いや…そもそも最初から、権力をコントロールする術はこれしかないのです。
それが徹底的な情報公開。
クリアにすることで、監視するしかありません。
森友問題を受け、三権分立の危機だとする声も見聞きします。国家の権力を司法・立法・行政に三分化し、それぞれに権力を監視・牽制しあうことによりその暴走を防ぐという、モンテスキューによって270年も昔に体系化されたこの考え方は、もはや現代では通用しないのではないでしょうか?教科書に載っていたことを覚えている人もおいででしょう。モンテスキューの著書”法の精神”で明らかにされたこの考え方は世界中に広まり、多くの国々の憲法のベースにされ、その思想は現代国家の核をなしているのです。
でも、その三権がそもそも闇過ぎる。
それぞれが私たち一般の市民、国民に公開されていない状態で監視・牽制し合うと言ってみたところで…空論というものです。
人間はそんなに強くありません。人は堕落します。誰もが聖者になれるわけではないからこそ、聖者は聖者であるのです。聖者どころか政治屋のような連中ばかりが集まっている議会においては正邪の区別さえ曖昧になっています。
大志を抱きその世界に飛び込んだものでさえ、飲み込まれてしまうのです。それが現実だとしたら、飲み込まれないような世界に変えてしまうしかありません。
怪物とたたかう者は、みずからも怪物とならぬようにこころせよ。
なんじが久しく深淵を見入るとき、深淵もまたなんじを見入るのである。
以前…当ブログを書き始めたばかりの頃のエントリーにも引用した、ニーチェの言葉です。
今一度こうした基本を思い出しながら、今日も新しい何かを積み重ねに行ってまいります!
本日はこんなところで。また明日!