未来拓く、みうらひらくです。
津山市議会議員、みうらひらくです。
一昨日と昨日のブログエントリーは一部で少しだけ話題になったようです。
そう言えば先日のちょっとした騒動以来、おかげさまで先輩議員の方々の中にも当ブログを見てくださる方が増えたようです。これは大変に有難いことです。
ところで、上記意見交換会の時にも強く感じたことですが、特に現職議員の皆さまをはじめとした政治家連中に顕著なのが、市民の意識との乖離(かいり)です。
市民のための仕事をしているはずなのに、あまりにも一般的な感覚と離れている人が多過ぎるということ。
これは個人の問題の積み重ねなのでしょうが、もはや空気…雰囲気自体が閉鎖的なのです。
例えば情報発信。
公開すべきを公開するという”あたりまえ”にすら抵抗がある人が多い。
本当にその必要があると認められる場合(例えば市民全体にパニックなどの混乱を招きかねないような種類の機密情報等)を除き…議会で話し合われていること、取り組んでいる課題などについては可能な限りの発信を進めていくべきだと考えます。
詳細部分の共有は難しいという理屈もわかります。
しかし例えば昨日、参加できなかった会議の内容の要点をまとめてくださった資料は、有難いことに議会事務局の優秀な職員さんの手により会議終了後即…手元に届きました。何が話し合われていたのか、概要を伝えていただくだけでも助けになることは少なくありません。
議会の常識は世間の非常識という言葉もあります。
これは決して笑い事ではありません。なぜそんなにも勘違いができるのか…不思議でしょうがないというのが、当選から半月ほどしか経っていない新人議員が何度か議会の現実を目の当たりにしての率直な感想です。
津山市議会の現状は圧倒的にマイノリティーの声が届かない仕組みになっております。
先日も少し触れましたが…1人会派を認めていない津山市議会では、会派という仲良し軍団に所属しないと、発言はおろか話を聞くことすら満足にできません。
昨日は朝10時から会派代表者会議という名の各会派の代表が集まって話をする会議がありました。
事前に傍聴のお願いをしました。
規約により無会派である私にも認められている権利だからです。発言権はない…そこにも突っ込みたいですが、まぁ今の段階でそこに文句言ってもどうせ変えられないのはわかりきっているので、話している内容を聞いて勉強させていただこうという思いでお願いさせていただきました。
オブザーバーとして話を聞くことは出来る建前にはなっています。
そう、建前はね。
ですが実際は規約上認められている権利を行使することが不可能なのです。
なぜか?
議長応接室で会議しているから。
つまり狭いから無理だということ。
「え…会場変えれば良いだけでしょ?」
その通り過ぎる話です。しかし会場を決める決定自体も会派代表者会議で行われているため、そもそも口を出すことができないという状況。
会派に所属せざる者、口を出すべからず。
こうやって初心を忘れざるを得ない状況に絡め取られていくのかもしれません。
無会派である場合は会派代表者会議はもちろん、津山市議会のあり方そのものを論じていく議会運営委員会でも発言権はありません(議会運営委員会は会派から3人につき1人の委員を選出)。
数が物を言う議会の現場。
こうした言論封殺とも呼ぶべき少数派への意見の弾圧がなされていることは非常に残念に感じます。多様性を容認できる社会の実現、声なき声を拾い上げる、社会的に立場の弱い方々へ配慮できる社会へ…それぞれが聞こえの良い言葉を並べて当選した議会の現場の実情はこうなっています。
津山市議会議員選挙、公約がまとめられた選挙公報の内容はこちらから確認できます。
子ども、障害者…そうした社会的に弱い立場にあると言われる人たちの声を聞くと書いている人は超多い。
しかし、議会内で弱い立場にある人の声は一切聞く気がないようです。
少なくとも1,273人の津山市民の願いを背負って議会に参加しているのですが…その人たちの声は無視するというおつもりなのでしょうか?
そして誰1人として、真正面から声を上げようとしないのが現実です。
三浦ひらくは声を上げていきます!
昨日は上げ損なったけどな!
今日は津山市議会議長をはじめ、副議長など様々な決定がされる予定です。
無駄にスゲェ長時間拘束されるという話(日付が変わることもあったとか)を聞いておりますので早めに更新しておきます。
暇でも議場にはパソコン持ち込んだらダメらしいのでね…意味がわからないですけど。
何が起こるのかわからないのが議長選挙だそうです。
前回は立候補したのに1票も入らなかった候補がいたとか。
つまり…自分自身も入れていない。
お前が議長やれば良いじゃんって本気の声、支援してくれる皆さまからは当然聞こえてきましたが…残念ながらその方向性は今回ありません。
やりたいからってできるものではないですし…つまり現実的ではないのです。
繰り返し述べてきているように政治はどこまでも現実。
時には妥協してでも、少しでも”マシな選択”をしていくことが必要だと考えております。
あらゆる選挙に際して…私自身は今までそうしてきましたが、白票を投じたり、立候補もしていないのに自分自身の名前を書くことには全く意味がないと考えております。
さてはて、一体どうなることやら。
今日の楽しみはお弁当かしら…それでは行ってきます!
本日はこんなところで。また明日!