未来拓く、みうらひらくです。
津山市議会議員、三浦ひらくです。
まず、改めて申し上げるまでもないことだと考えておりましたが…案外そうでもない場合が多々あるということ、それを改めて実感することが続きましたので、このエントリーでは特に必要なことを改めて明確にしておきます。
当ブログは基本的に三浦ひらく個人の所感等を発信するものであり、津山市や津山市議会を代表しての意見を表明しているものではありません。さらに言えば、先日立ち上げた会派ツヤマノチカラの三人に共通する思いを綴ったものでもありませんし、その他の所属団体とも一切関係がない個人的な思いを書き記しているものです。
そしてそれは、SNS等での私の全ての情報発信について同じことが言えます。そもそも私は自治体を代表しての発言などできる立場にありませんし…組織や団体、会派を代表して何らかの発信をする場合には殊更にその旨を書き記すなり、個人ブログではなく別の発信手段を使うなりするころが適切かつ当然であると考えています。このあたりはそもそも社会通念上、そうなっていると理解しています。
ただし!
それでもやはり、公人…つまり津山市議会議員として発信する以上は、気を付けなくてはならないことがある。
これは極めて当たり前のことですが、毎日発信を続けていく中で…少し自分自身に対して甘く、緩慢になっていた部分があったという事実と痛切に向かい合わざるを得ない状況が起こりました。毎度ながら前置きが長くなりましたが…今日はそんな話を切り口に、一昨日にも触れた表現の自由についても、私自身の思いについて言及しながら書いていきます。

最初に触れるのは…先日のエントリーで触れかけて放置する形になっていた、勝央町で開かれたある講演会の内容についてです。
上記エントリーは他の全ての当ブログのエントリー同様に、特定の団体や個人等を不快にさせる意図で書いた内容ではありませんでしたが…表現力不足、言葉足らずだったこと、また軽率に刺激的な表現を多用したことによる浅薄な投稿が多くの誤解を招く結果になりました。後半部分で勝央町でのネット・スマホ・ゲーム規制に関する取り組みについて言及している部分について、関係各位から様々なご指摘をいただき…数日前に謝罪と訂正の意図を込めた文章を付け加えさせていただいたところです。
特に最後の部分で”ヤバい”と表現したことについての言及が抜けていたために、必要以上に不快な気持ちや悲しい思いをする方が出てしまったことについて反省しています。
何をヤバいと感じたか?
この点について説明していきます。

私が家庭教育講演会と題されたこの会に参加したのには、もちろん理由がありました。
津山市議会の3月定例会で大きく取り上げた、ネット・スマホ・ゲーム規制について…津山市教育委員会には、勝央町教育委員会の資料を下敷きにして、児童生徒に対しての過度な規制を行う施策を推進しようとする傾向が見られていました。私が議会質問でその姿勢を質した結果、問題があると指摘させていただいた資料については今年度からは公式サイト上での頒布取り止めなどの措置を講じていただいています。
その下敷きとなっていた、そもそもの拠り所となる主張をされている方の講演会だったからこそ、参加させていただいたのです。
ちなみに、3月議会での私の主張ですが…スマホやネットゲームとの向き合い方については、それぞれの児童生徒、それぞれの家庭における適切なルールというものがあるはずで、それはあくまでも家庭内において話し合い、決められるべきものであるということと、公権力が過度にそこに介入していくことは著しく不適切であるとの考え方のもとに…施策を打つに当たってのエビデンス不足なども指摘しながら、問題点を明らかにしていきました。
30分の持ち時間の内、15分以上を費やした主張内容をご理解いただくには、動画をご覧いただくのが最も手っ取り早いので是非、ご覧ください(この件についての発言部分から始まります)。
あるいは動画をご覧いただけない環境下であるならば、本会議での発言の会議録をご確認いただくこともできます。
端的に言えば、ヤバいと表現させていただいた理由は…公権力が著しく偏っている主張を、子どもたちと保護者に対して押し付けているように感じられたからです。
講演会内での講師自身の言葉にもありましたが…勝央町では継続的に何度もこうした会を催されているとのことでした。例えば仮に、全町民が本当に一切の違和感なくこうした施策に賛同しているのであれば…また話は別だとは思います。ただもちろん、人の心の中を覗き見ることなどできない以上、現実にはそんなことは不可能です。
また事前に違和感を覚えている町民の方がおられることを把握していたことで、講演会内で町を挙げての取り組みのように表現されていたことも相まって、公権力の家庭への介入が過ぎる印象を受けたため…ヤバいと表現したのです。SNSでは”染め上げられている”などという表現もしましたが、それもこうした経緯によるものでした。つまり色んな考え方がある中での選択肢の一つとして提示されているように感じられなかったからです。
自治体そのものや教育委員会と異なり、PTAは公権力ではないでしょうが…任意加入と言いつつも実質的にはほとんど加入が当然になっている中、偏った内容をプッシュし続けることに違和感を覚えたため、こうした表現になりました。津山市で使用していたチラシの内容は、ほとんど勝央町教育委員会発行の「あすなろ」から引用されたものでした。しかし動画内でもハッキリと述べているように、勝央町の施策に文句を付けようという話ではないのです。議場で問題にしているのは津山市の話で、津山市教育委員会の姿勢でしたが…もっと言えば、それすらも私の本意の全てではないのです。
私は選択肢の増加こそが、現代社会において皆が幸せに生きていくための最善の手段だと考えています。
つまり全否定するつもりはない。ただ津山市議会や当ブログをはじめとしたあらゆるシーンで、私が主張していることですが…これだけライフスタイルや考え方、価値観すらも多様化した社会においては、できる限り選択肢を増やしていくことでしか、社会全体の幸福量の増大は図れないのではないでしょうか。
要するに色んな考え方がある中で…ある考えに賛同する人もいれば、そうじゃない人もいて当然ですから、ある一つの偏った考え方だけを公権力が推進していくのは危険だと思っているわけです。実際にこうした施策によって生きづらさを覚えている子どもも大人も確実に存在することを把握しているからこそ言っている話です。
ま、もちろんこれも私個人の考え方ですので、賛同できない人もいて当然!それこそが表現の自由です。
先に触れたように、色んな考え方や感じ方があるわけですから…ある表現に対して不快に感じたり、怒りや悲しみの感情を抱くことは当然起こり得ます。誰もが納得するような表現などあり得ないとも考えていますし、誰も文句を言わない施策を打つことは難しいでしょう。
もちろん、ある表現に対して異議を申し立てることもまた一つの表現です。批判や批評は世界をより良くするために、そして個人が成長するためにも必要不可欠な過程です。だからと言って…自分の意思に反する表現を排除したり、考え方が異なるからといって全否定してしまうのは、表現の自由を守る活動に力を入れてきている私としては当然、違うと考えているわけです。
「あなたの意見には反対だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけても守る」
フランスの哲学者のヴォルテールの言として有名ですけれども、実は本人は言っていないという説もある名言まで引いて…議員定数は24人とすべきだと考えているにもかかわらず24人への削減案に反対した、物議を醸しまくった3月議会の討論に、この私の思いが強く込められています(私の発言シーンから始まります)。
つまり、丁寧に議論していくべきことであるということ!
それぞれに主義主張もあるし、信じているものもあるし、積み重ねてきたものもあるわけですが…人それぞれ、相手のことを完全に理解できるはずはありません。そしてそもそもこの、スマホ・ネット・ゲーム問題などというせいぜいここ十数年程度の話に関しては、まだまだわかっていないことや未確定な部分が多過ぎます。
だからこそ相手を全否定することなどなく、話し合っていくことが肝要。
関係各位と話をする中で、それを理解しました。あの人の声でヤバいよヤバいよ〜!が脳内再生される方も多いでしょうが、同じワードであっても受け取り手によって異なる印象を与えることがあるのが活字です。また、実際問題として、世代や気分によっても受け取り方は変わってきます。
そうしたことを全て踏まえて、やはり当該エントリーに赤字で追記した通り…あの流れで”ヤバい”という表現を用いたことは適切ではなかったと感じています。
改めて関係各位にお詫び申し上げます。
今回の一件で、勝央町の関係各位とお話をさせていただく機会を持たせていただいたのですが…その中で最もハッとさせられた言葉は、ある方が言われた「思いやりの持てる議員さんでいてください」という趣旨の表現でした。
上記のように私自身、昨年3月には津山市の多くの施策に思いやりが足りていないという趣旨の発言をしているわけで…さらに12月には自分自身も胸に刻むと言っているわけです。
人がいるのは「あらゆる施策の先」だけではなく、そもそも「あらゆる施策」に人が関わっており、施策の否定の表現の仕方によって、過度に不快にさせたり、傷つけてしまうということに思い至っておりませんでした。
申し訳ありませんでした!
このように、表現の自由を守る活動に力を入れてきている私ですが…公人として発信している以上、そこは私人と区別して考えなくてはならないなと考えている点は、自分自身の表現が間違っていた、誤っていたなと判断した場合は自分自身で責任を取って説明することが必要であり、場合によっては謝罪することも必要だという点です。
ただ今回…我を通させていただいたのは、発信内容を削除しないということでした。削除して、なかったことにする。
こういうアプローチをとる自由は誰にでもありますが、私はこれには強い抵抗感を覚えます。
特に政治家は発言の取り消しを多用することが多い印象があります。ただ議事録から削除してもなかったことになどできませんし、一旦口をついて出てしまった表現や、書いてしまったこと…それらは受け取り手に届いた時点で、ある意味では取り消しようがないものです。
だからこそ、慎重に考えて発信していくことが大切で、そこで最も大切なのが何かと言うと…それこそ、青い気もしますが先に触れた「思いやり」だというのが私の表現です。
多様性を認めていこうぜって声高に叫んでいる人の中に、ただし自分の考えと異なる場合はその限りではない(キリッ)!みたいな人が多いのって…本当に何とも言えず皮肉なものだと感じる。#表現の自由 についてもそうだけど…自分が嫌いで気に入らないものも含め、認め守ることが本筋だと思うけどねぇ☆ pic.twitter.com/qV6upsMSaS
— みうら⋈ひらく (岡山県津山市議会議員) (@miurahiraku) June 6, 2021
こう言っていたのに恥ずかしい限り。

私自身も、自分自身の考え方に固執し過ぎていた嫌いは否めません。
あらゆる公の施策については、居住地がどこであろうと、公人であろうと私人であろうと批判するのも批評するのも自由だと私は考えていますが…それでも、私自身が私の嫌う「思いやり」のない表現をしてしまっていたことを情けなく思うところです。
情報発信は私の政策の一丁目一番地で、表現の自由を守ることは私が政治に取り組む以前から非常に大切にしてきたことですが…それすら全て、人それぞれ誰一人として同じ人間がいないこの世界で、人と人とができる限り尊重しあいながら、より快適に暮らしていける社会をつくっていくための手段でしかありません。
反省すべきはすぐに反省し、改めるべきは即時に改める…これはまさしく3月議会で論語を引用して津山市教育委員会、そして津山市行政にも足りていないと指摘させていただいた姿勢です。

自分自身への特大ブーメランが返ってきたことをしっかりと受け止め、これからも精一杯、頑張っていきます!
色々と言いたいことがあり過ぎて、久々に超長くなったけど…本日はこんなところで。また明日!