未来拓く、みうらひらくです。
嫌いな人がマジでいない、みうらひらくです。
好きな人は”超”いっぱいいる。だから俺は幸せな人生を送らせていただいている自覚がある…嫌いで嫌いでたまらない人間がいる人は、こんな俺と比べると相対的にやはり不幸だと言えるだろう。
”超”余計なお世話だが。
嫌いで嫌いでたまらないような人がいつか出てくるんだろうか…そうならないことを祈るのみである。
しかし、人を嫌うのにも結構なエネルギーが必要だ。
わざわざ中傷や嫌がらせを繰り返すのには相当なガッツが必要である。そういう意味で、よく言われることの一つは「アンチはファンと同じ」ってこと。アンチに絡まれている最中の人間にそう言っても、なかなか納得はしてくれないが…アンチであった人が、仲良くなってしまえば強力な味方になることは少なくない。
そもそもだが、俺はあまり他人を気にしない。
いや…それは嘘だな。
正しく表現すると、自分にとって気になる他人は限られているのだ。イヤな風に思われたらイヤだな…とか、カッコ良いところ見せたいな…とか。人間誰しも、そういう相手がいるはずだ。
無関係な人、自分にとってどうでも良い人からどう思われようと…それはそれで、どーでも良くないかい?かつて友人とそんな話をしたことがある。
そして「もしお前がそうした考え方なのであれば、不特定多数の人の幸せのための政治という仕事には不向きではないか?」と指摘された。
普通に考えると、そう思えるかもしれない。
だが現実はこうだ。
確かに俺は、大切な存在や大事な人のために生きたいと強く願う。
でも皆もそうじゃない?
自分自身を大事に思う気持ちも当然あるだろうけど…同時にそれは家族や友人、大事な誰かのためでしょ?
これって、政治家だろうが教師だろうが聖職者であろうが、人間なら皆そうじゃないの?ってか、そうじゃないとヤバくないか?
こんな超基本的な人や周囲に対する思いやりが欠けている、あるいは多くの皆と異なる感覚の持ち主が政治という非常に多くの人に影響を及ぼす仕事を担うことの方が、リスクが高いのではないか?
これらは全て机の上での話。
ともかく色んな人が政治に携わるようになるのがベターだと俺自身は考えております。
そんなに人と人との繋がりなんて重視しません、って人間が仮に選挙に出て勝つとしたら、それが時代のニーズで、有権者の判断ってことになるのでしょう。結構話が逸れたが、今日はアレだ…皆さまよくご存知のSNSやら何やらについて。
このところ周囲でも、ブロックしただのされただの…超絶にどうでも良い話で盛り上がっている人たちもいる。
はいはい、自由です。
ブロックするのもされるのも勝手にしたまえ。
全ては自由なのだよ!
イヤなことを言ってくる相手の意見を聞くのも自由、聞かないのも自由。イヤだなと思われることを承知でそれを相手に伝えるのも自由で、伝えないのも自由。
たまたま昨日読み返したけど…昔の俺、超良いこと書いてるわマジで。
騙されたと思って読んでみて!
ほら、俺とちょっと絡んでみようって思ったでしょ?
思わなかった人は仕方がない…ドアの中に籠もっておきなさい。
本日はこんなところで。また明日!